燃えよカンフー /1976年
米国ABC系で72年から放映されたアクション・ドラマ。日本での放映は1976年。
1870年代のアメリカ西部。行方不明の兄を探し歩くクワイ・チャン・ケイン(デビッド・キャラダイン)は賞金付きのお尋ね者だった。
孤児ケインは中国で少林寺の僧に育てられ、成長して武術の達人となったが、 恩師を助けるために清の皇帝の甥を殺し、追われる身となってアメリカへ渡って来たのだ。
東洋人に対する偏見、差別。賞金稼ぎの殺し屋、善意の人々との出会いと別れ・・ケインの旅は続く。
カンフー映画ブームのなか、日本のTV局は先を争って放映権を・・とはならず、本国に遅れること4年。深夜の放映だった。
あからさまに『燃えよドラゴン』にあやかった邦題とは裏腹に、スローモーションを多用したアクションシーンに派手さはなく、デビッド・ジャンセンの『逃亡者』を開拓時代に置き換えたようなシリアスなドラマだったからだ。
制作当時の米国はベトナム戦争に疲弊し、反戦を唱えるヒッピーの間では東洋思想がブームだった。そういった背景に合わせたのか、劇中には修行時代のケインと高僧の禅問答が回想シーンとして度々登場した。
「コオロギ(ケインのあだ名)よ。ネズミは穀物を盗む。猫はネズミを殺す。どっちが悪か?」というような話が交わされる。
この種の東洋趣味は米国人の心の琴線に触れるのか、日本でヒットしなかった『燃えよカンフー』は米国では支持され続編も作られた。80年代の空手映画『ベスト・キッド』の師の教えにも同様のニュアンスを感じたものだ。
『燃えよカンフー』の原案はTVドラマ『グリーン・ホーネット』で俳優としての頭角を現したブルース・リーが企画したといわれるが、自ら演じる事は出来なかった。
失意の中、香港へ帰ったブルースは『ドラゴン危機一発』の主役の座につき、一気にスターダムへ駆け上がった。成功に目をつけたハリウッドはブルース・リー主演で『燃えよドラゴン』を製作する。しかしブルースはその成功を自らの目で確かめることは出来なかった。
歴史に「もし」は禁句だが、『燃えよカンフー』をブルース・リーが演じていたならば、TVのアクションとしてのカンフーブームあっても、ドラゴンブームはなかったかも知れない。