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丹波の巻物 第五巻 『屋久島の風 』〜後編〜
縄文杉への山道は、まだまだ続く。

日頃の運動不足が祟ってか、足がしんどくなってくる。 が、今さら不摂生を反省しても遅い。あまりに急な所には木製の階段が何ケ所もある。それが連続することも、しばしば。 一見、便利だ。 が、しかし!この階段が辛い。 天然の土の山道の方が、まだいい。でも、そうも言ってられない。 登って進め・・・だ。

様々な杉の木が旅人を見守っている。 ちなみに樹齢1000年以下の杉は「屋久杉」とは呼ばない。 1000年以上の樹齢をもって、やっと「屋久杉」と呼んでもらえるそうだ。 「屋久杉」と呼ばれることは、屋久島の杉にとっては、 勲章にも似た称号のようなものなのかもしれない。

コラムニスト タンバリンマン
タンバリンマン?丹波燐漫?
日々修行中の某道場でスカウトされた、 旅・楽器・歴史もの好きな「気まぐれ人」。 忍者と勘違いされがちだが(?)、正体は自分でも不明。

記事内の写真で特記してないものは、当時旅行中に撮影。


いざ!縄文杉へ

大きな杉が見えてくる。 一際目立つ太い杉には、ちゃんと名前が付いている。 そのうちの一つ、「夫婦杉」の辺りで一休み。 2本の大きな杉が、手をつなぐように仲良く並んで立っているからのネーミングか。

山道を下ってくる人に、縄文杉まではあとどれぐらいですかと問えば、 もうすぐだと言う。 やった!あと一踏ん張りだ!

あまり歳をとってからでは、縄文杉に辿り着く体力と時間が足りなくなるだろう。 今のうちに行っておかねば(笑)。 屋久島に来るには金もかかるし、天候のせいで来れない悲哀も経験済み。 ここまで来たら、もう行くしかない!

大汗をかきながら、足は棒のようになりながら、なおも進む。 ・・? なぜか気のせいか、すれ違う人の姿が多くなりはじめる。 すれ違う人、それはこの縄文杉への道を帰ってくる人だ。

と言うことは! 「頑張って下さい!あと15分くらいで着きますよ〜。」 と声をかけてくる人がいる。 ドキドキした。もう目と鼻の先か!


足取りが気持ち早くなる。 すると。 目の前に意味ありげな登り階段が見え、 その先には高台になった休憩場らしきものが見えるではないか。

取急ぎ階段を登る。もしや片道で最後の階段か? ・・・・と!! 一際神々しい樹木が、こちらを見下ろすように現われた! 違う。明らかに違う。他の木とは・・・。

マンガならここで見開き2ページで1コマめいっぱい使って描いてほしいところだ。 古いマンガなら、ド〜〜〜ンとでも擬音がつくのか?
▼屋久杉
屋久島の杉は、すべてを屋久杉と呼ぶのではなく、樹齢1000年を越えるものだけを屋久杉と呼ぶ。樹齢の満たないものは小杉。
普通、杉の平均寿命は200〜500年といわれるが、屋久杉は樹齢2000年を超える巨木がある。

神々しい・・・とはこのことか。仙人のようでもある。 まず、太さが違う。 樹齢7000年とも言われる屋久島縄文杉。 さんざん写真で見たその御神木(?)。それが今、目の前に!

鑑賞用の休憩場は縄文杉の前に設置されており、来訪者はここで弁当などを食べてお喋りしながら、御神木を眺める。 見ればそこそこ年配の方々もいる。思ったより元気なもんだ(まあ、実際はかなり疲れているはずだが)。


私達が縄文杉に着いたのは午前11時頃。 トロッコ道を進み始めて、昇りで約4時間か。ふう。

一般的には縄文杉への日帰りは、往復8〜10時間と言われる。 年配の方や、足腰の弱い方は12時間はみたいとのこと。 宿で朝食を食べていたら間に合わないので、宿の朝食は「オニギリ」にして用意してもらう。 で、宿を出る時に、宿の人から受け取って出かける・・ということは前にも書いた。

昼食用の弁当は、宿からトロッコ道入り口までの道の途中で売っている場所がある。 だが私の弁当は、朝食同様に宿で用意してもらった「オニギリ弁当」だ。 縄文杉の前で食べる昼食。 登りの登山道はけっこうしんどかったし、疲れてもいたので、実に弁当がうまい!

この辺りは標高1300メートルくらいの地点だ。 動かないでいると、一気にヒンヤリしてくる。 登山中は大汗かいて暑かったので気にならなかったが、じっとしてるとやはり冬は冬だ 。すぐに冷えてくる。寒くなってくる。ましてやここは高地なのだ。




昼食を食べ終わり、ふと立ち上がり、縄文杉をまじまじと見る。

昔は、この聖なる木に直に触ることもできたらしい。 だが、心無い来訪者が杉に傷をつけたり、木の皮を剥いだりしていくものだから、 今では休憩所の柵に阻まれて、旅人は直に触れられなくなっている。 残念なことだ。触れてみたかったのに。 触れれば何か伝わってくるものがあったかもしれないのに。

だが、この聖なる木のためには、これでいいのだろう。 ウィルソン株のように、秀吉の時代に伐採されて切り株になってしまった屋久杉も あるくらいなのだから。 ああいう悲劇は、未来永劫に取りかえしがつかない。

大いなる自然に接する人間は、それに対する自分の刹那のわがままは、それまでの自然 経過の流れを断ち切ることになり、またその個人のわがままの跡は未来に残されて行く ものであるということを肝に銘じておかねばならない。


それにしても。 ・・・見れば見る程、深い木だ。 精霊が宿っているに違い無い。 樹齢は7000年以上とも、2000年あまりとも言われている。

もし樹齢が7000年以上だったのなら、この聖なる木にとっては 例えば豊臣秀吉や織田信長の時代など、つい最近のことに過ぎない。 例えば、2100年以上も前の中国の史記の時代も、ふた昔程度のことだ。

信長や秀吉も、聖徳太子も、項羽と劉邦も、そしてキリストや釈迦の時代も、それ以前 の謎の時代も、この木はそれらの時代の空気を吸ってきていることになる。 樹齢が2000年あまりだったとしても、三国志の時代の空気は十分に吸っていること になる。 諸葛孔明が生きていた時代。その頃の日本は、卑弥呼の時代か・・・・。

気が遠くなりそうな生命力だ。 そう思うと感慨もひとしお。 この聖なる木を見つめている私の目は、顔は、きっとほころんでいたに違い無い。 話せるものなら、この木と話をしてみたいくらいだった。

マイナスイオンの王国とも言うべき屋久島の自然の中で、この縄文杉は一際存在感があ る。 きっと、屋久島の守り神なのだろう。 心の中で、この守り神にそっと問いかけてみたが、木は何も語らない。

旅人の人生の蓄積の分だけ、木からの無言の返事を感じられるくらいか。 私のような未熟者は、そこまでの境地に辿り着くのには、まだまだだ。


木の肌(?)がまるで仙人や老魔女の皺のようにも見える。 この木の前に来て私同様まじまじと木を見つめる人、写真を撮る人、 「疲れた〜〜」を連発しながら昼食を食べるグループ、 笑いあって話をしている人たち。

かと思えば、一足早く帰っていく人たち。今ここに辿り着いた人たち。 山小屋に泊まるつもりでゆっくりできる人たち。 様々な人たちがいる。この木のもとに集まっている。 それぞれの思いを持って。

辛い山道を何時間もかかってやって来た人たちだけが会うことができる縄文杉。 なによりの御褒美だ。 話によると、夜明け時に朝日を浴びる縄文杉の姿は格別だそうだ。 それが見たいがために、近くの高塚小屋(近くの山小屋の名前)に泊まる人がいるくらいだ。

今回私のスケジュールでは、それはかなわない。 いつか・・・・。


しばし片思いのように縄文杉を見つめた後、私はこの木を後にした。 さっき来た道を戻りつつ、名残惜しそうに何度か振り向いて見ながら。

聖なる木は段々遠くなって行った。 山の中では屋久島の風は穏やかだった。


丹波の巻物 第五巻 『屋久島の風』の巻
〜 了 〜

▼縄文杉
1966年、屋久町役場の岩川貞次氏により紹介された。
当時の推定は樹齢約7200年。縄文時代に遡る為、縄文杉と呼ばれた。 現在、7200年説は否定する考えが一般的。
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