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丹波の巻物 第五巻 『屋久島の風 』〜中編〜
屋久島の縄文杉への登山は、登山レベルで記すと「中級登山」なのだそうだ。 初級ではない・・・とされていた。

事前に頼めば縄文杉登山のためのガイドがつく。 私が行ったのは前編でも書いたように、年末。 旅のプランをたてている時、ガイドを頼もうと思って問い合わせてみると空いているガイドは居なかった。 年末年始の時期は、休みたいガイドが多いのかもしれない・・と勝手に解釈してガイドを頼むのはあきらめた。

島の人に聞いたら、ガイドが居なくても縄文杉には辿り着けますよ・・・とのこと。 実は・・・ガイドを頼めなかったので、その時の旅では縄文杉行きは予定していなかったのだが、島の人の言葉を聞き、翌日の予定を縄文杉行きに急きょ決定。 ということで、宿の人に翌日の登山届けを出して、早めに就寝。 なにせ明日は朝4時過ぎには起きなければならない。

コラムニスト タンバリンマン
タンバリンマン?丹波燐漫?
日々修行中の某道場でスカウトされた、 旅・楽器・歴史もの好きな「気まぐれ人」。 忍者と勘違いされがちだが(?)、正体は自分でも不明。

記事内の写真で特記してないものは、当時旅行中に撮影。


マイナスイオンの自然王国

さていよいよ当日の朝。 宿の人に前日頼んでおいた朝飯用「オニギリ」を貰い、宿を出たのは午前5時過ぎ。 このオニギリは宿の朝飯代わりだ。
外はまだ暗い。まだ夜が明けていないのだ。 車のライトを付け、朝まだ暗い道を、縄文杉登山道入り口まで、車を飛ばす。 ごくまれに他の車を発見。 おそらくその車も、縄文杉を目指しているのだろう。

宿から登山道入り口までは、思ったよりも距離があった。1時間くらいかかっただろうか。 朝5時過ぎに宿を出たのに、目的地に着いて実際に思ったのは、私の泊まった宿を5時過ぎに出たのは、もうすでに遅かった・・・・・という事であった。 縄文杉登山道入り口にある駐車場は、思ったよりは広くない。 先客の車で駐車場はもう、あらかた埋まっている。 まともに停められる場所が中々見つからず、停めるスペースを探すのに苦労する。 まさかここまできて、あきらめるわけにはいかない。 何としても場所を確保しなければ。

縄文杉登山観光に最適な季節は春だと言われる。 比較的空いているはずの冬でさえこのありさまなのだから、もし私がピークの春に来ていたらどうなっていただろう。 見ると、トイレもかなり混雑している。 私よりも後に来た車は、駐車場付近の道の脇に停めている。 皆、縄文杉には行きたいのだ。まあ、あたりまえか(笑)。


停めた車の中で朝飯のオニギリを食べ、いざ縄文杉に向かって出発! このルートの遥か先で縄文杉は旅人を待っている。 胸が高鳴る。靴が鳴る。 歩を進め始めると思わず顔がほころんでくるのがわかる。 朝、7時前。まだ辺りは暗い。 だが、他の観光客はもうとっくに出発していたようだった。

縄文杉へのコースは、はじめ旧トロッコのレールの上を歩いて行く。 歩き出した途端、いきなり鉄橋が現われた。 私が行った時は、欄干(らんかん)みたいなものはありゃしなかった。 (今もそうなのだろうか) むきだしだ。 枕木の隙間からは下を流れる川が丸見え。 線路のまん中に板みたいなものが敷かれていて、利用者はその板道の上を歩いて行く。 川からはそれなりの高さもあり、落ちそうで恐い。 ましてや辺りはまだ薄暗い。スリル満点だ。

この時ばかりは懐中電灯があるといいだろう。 暗がりでは足場を確かめながら進まないと下手したら命にかかわる。 橋から落ちたら、少なくても大怪我は間違いない。 もし雨で濡れていたら、足下がツルリと滑って川に落ちそうだ。 川には大きな岩が、落下者を待ち受けるかのように、無数に転がっている。 来訪者はくれぐれもしっかりとした靴で来るように。 ちなみに私は登山靴だった。
▼屋久島の宿
屋久島観光協会>>




▼屋久杉
屋久島の杉は、すべてを屋久杉と呼ぶのではなく、樹齢1000年を越えるものだけを屋久杉と呼ぶ。樹齢の満たないものは小杉。
普通、杉の平均寿命は200〜500年といわれるが、屋久杉は樹齢2000年を超える巨木がある。




▼縄文杉
1966年、屋久町役場の岩川貞次氏により紹介された。 当時の推定は樹齢約7200年。縄文時代に遡る為、縄文杉と呼ばれた。 現在、7200年説は否定する考えが一般的。
ヒヤヒヤしながら橋を渡り終わると、トンネルが見えてくる。 まるで何処かのテーマパーク内の洞窟にも似て、いいムード。 短いトンネルを抜けると、延々とレール道が続く。



屋久島の奥地に向かっていることが実感でき、緑が誘う。包む。 途中には小さな橋がある。 相変わらず枕木の下から下が丸見えで恐いのだが、最初の橋ほどではない。 思うに、縄文杉コースを歩き始めていきなり、先ほどのような長い橋でガツンとやられたのは正解なのかもしれない。 免疫にもなるし、気持ちがあれでいっそう引き締まった(笑)。



ふと空を見上げると、今日はどうやら曇りの天気になりそうだ・・ということに気付く 。 屋久島は雨の多い島だ。なんとかもってくれればいいのだけど。


自然景観に心踊らせながら、トロッコレールの上を歩く楽しさを感じながら長い間テクテク歩いていると、途中レールは二手に別れる。真直ぐと右側の二手。 縄文杉方面には右側に進む。 す る と !! 視界が開け、一際大きな橋が現われるではないか! こ、これは長い・・・・。



高所恐怖症の人には、ちょっと辛いかもしれない。 橋の長さが、今までの比ではない。 例によって、いつ足を滑らせ枕木の隙間から落下するかもしれない・・とヒヤヒヤしな がらも、慎重に真ん中の板道を楽しんで渡る。
▼トロッコ軌道
かつて屋久島には4本、全長数十kmの森林軌道があった。現在、小杉谷と安房間に残され、日本唯一の森林軌道として発電所の補修等に利用されている。
渡りきると、廃校跡が現われる。 こういう廃校跡は、夜来ると恐いんだろうなあ・・・と思いつつ一休み。 看板を見ると、「小杉谷小・中学校跡」と書いてある。



昔はこの学校も子供たちがいて、それなりに賑やかだったのだろう。 ガランとして誰も居ない校庭を、風が通り抜けて行く。 そこは、時が通り抜けた跡でもある。 地面から風に反応して埃が舞う。舞った埃の行き先は誰も知らない。 しばし物思いにふけった後、再び私達は歩き始めた。まだ見ぬ縄文杉に会うために。

途中、派手な倒木があるかと思えば、レールがひん曲がっていたりする。 時折、ガイドに連れられて説明を受けながら進むグループに出会う。 人数が多いグループだと、ゾロゾロとして、どうしても進むペースが遅いような気がする。 一番遅い人のペースに皆が合わせたり、待ったりすることになるからだろう。 まさか遅い人を置いてはいけないし、仕方のないことだ。

その点、私たちは気楽だ。マイペースで進める。 好きな時に休んだり、ペースをやや上げたり下げたり、自分たちの都合でペースを調節しながら進むことができる。 止まって解説モードに入ってるガイド付きの集団を、私たちは追い抜かして先に行く。 名のある大きな屋久杉に出会うと、しばし眺めたり驚いたりしながら。

いつ果てるとも知らぬレール道を、なおも延々と進み続ける。 最初は楽しく感じたレール道が、ちょっと辛くなってくる。 ゴツゴツしてるうえに、自分の歩幅と枕木の位置のタイミングが合わず、歩き辛い。 周りは、屋久島特有の苔むした濃い緑の色合いで、奥に進む私達を包み込み続けている 。 森の匂いと、この苔の匂いが気持ち良い。 深い。 ああ、この色・・・今、自分は屋久島に来ているんだなあと、 あらためてしみじみ実感する。

まったく私って奴は、何度実感すれば気がすむのやら。 それは・・・イメージのままの自然がここにあるせいだ。 マイナスイオンの森の自然王国に来たような気分とは、このことだ。 冬ならではの空気のヒンヤリ感もまた良い。 苔むした緑の匂いにもヒ−リング効果ありだ。 汗で火照った体に、緑が優しい。 神秘的な森姿には、妖しい魅力すら感じる。
▼小杉谷小・中学校
以下のサイトに小杉谷研究室があります。
屋久島あいあい>>

その中の小杉谷小・中学校に関する記事。
小杉谷の想い出>>
小杉谷は驚く無かれ、豪雪地帯。38豪雪の思い出が記されています。
屋久島には様々な伝説が残っている。 その中でも、精霊にまつわる伝説は、この島の森には一番似合っているのではないだろうか。

たとえば「山姫伝説」なんか、イメージにピッタリだ。 屋久島の山姫・・は、木の精霊だとされている。 長く後ろ髪をたらした美しい女性の姿をしていて、人に出会うとニッコリ笑いかけてくるそうな。 山姫に出会った人は、彼女よりも早く笑って見せないと、首の血を吸われてしまうという。榊(さかき)の枝が魔除けになるとされているらしい。

そういえば宮崎駿の「もののけ姫」は、白谷雲水峡の森にインスパイアされて製作されたそうな。 昨日少し入った白谷雲水峡といい、縄文杉に続く道の廻りの森といい、わかるような気がする。


色々イメージを膨らませながら歩くレール道は、なおも続く。 一体どこまで続くのだろう。 12月末だというのに、汗ビッショリだ。



思えば、夏に屋久島に来れなくて良かったのかもしれない・・・そんな気になっていた 。冬でもこんなに汗をかく。 シャツを脱いで絞りたいくらいだ。 夏に来ていたらどうなっただろう。 ましてや湿気の高い屋久島。 夏だったら、もしかしたら途中で縄文杉行きは途中で諦めたかもしれない。 私にとって、冬に屋久島の縄文杉に行ったのは正解だったというしかない。 (事実、日本全国の山に登っているベテラン登山者に聞いたら「縄文杉は、 屋久島の湿気の高い気候を考えれば、夏に行くもんじゃない」と言っていた)


・・・・どれほどトロッコレールの上を歩いたことだろうか。 ついにレール道から本格的な山道に入る時がやってきた。 山道に入るポイントでは、何人かの来訪者がたむろして休んでいる。 そこから始まる山道は狭い。一人づつしか行けない。順番待ちみたいなもんだ。

さあ、行こう。上に向かって行こう。「疲れ」は、後で癒してあげればいい。 いきなり、急な山道を登っていくことになる。 前の人がつかえて、中々進まないのがじれったいが、まあその辺は仕方ない。 一瞬、岩肌にかけられた鎖で身を支えながら先に進む地点もある。 スリリングだ。足を滑らさないように慎重に。 急勾配を抜けると、普通の山道。 緑がますます深くなる。神秘的な様も増す。 苔むす光景もますます屋久島っぽくなる。右も左も、前も後ろも、辺り一面が。 どんどん進もう。
▼もののけ姫
谷雲水峡はアニメ「もののけ姫」のモデルといわれる。宮崎駿氏は屋久島によく訪れているそうで、映画製作の際にはスタッフとスケッチに訪れたそう。

やがてウィルソン株に出会う。 これは樹齢3000年とも言われる、有名な周囲13.8メートルの大きな切り株である。



400年前に豊臣秀吉の命により伐採されたらしい。 伐採されなかったら・・・切り株になっていなかったら・・・どんな木になっていたのだろう。 屋久杉には、場合によっては何千年という未来の可能性があるのだ。 ちょっと秀吉に対して複雑な心境になった。

切り株の中は空洞になっており、人一人の個室なみの広さ。 切り株の中では天然水が沸き出しており、抜かり無くペットボトルに補給。 その水がもう、うまいのなんの! 「屋久島の水」「ウィルソン株の清水」として、東京に持って帰りたいぐらいだ。もちろん帰り道でもまたここで水を補給した。

ともかく水分の消費が半端ではない。 ちなみに、ここまでの行程を経て、これ以上の登山が体力的にしんどいと判断した人は 、このウィルソン株で引き返す場合もあるらしい。確かにちょっとした区切りのポイントではある。 ともあれ、ここで一息つく。 近付いてるはずの縄文杉の姿をイメージしながら。

後編につづく>>

▼ウィルソン株
1914(大正3)年、調査に訪れたアメリカの植物学者ウィルソン博士が紹介した。約300年前に樹齢2000年程の杉が伐採されたあとの切り株に、樹齢300年の小杉が3本育っている。
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