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丹波の巻物 第五巻 『屋久島の風 』〜前編〜
私が屋久島に旅したのは、数年前の年末。

今の屋久島は当時とは微妙に光景が変わっている部分があるのだろうか。 例えば、縄文杉に向かうルートの、一部の光景とか。 少なくとも、私にとって唯一つ確かなのは、あの時の感激は今だにあの時のまま変わらず心に残っているし、薄れてはいない・・・ということだ。

思えば、あの島に憧れて何十年たっていただろうか。 確かそのきっかけは、ある年のカレンダーだったはずだ。 そのカレンダーに載っていた屋久島の写真には、深い緑の清水や森が写っており、 その神秘的な美しさに私は虜になったものだ。

私は日本の中で行ってみたい場所のベスト3というものが、 絶えず心の中にあった。 それは「上高地」「屋久島」「北海道」であった。(順不同)

どれも幼い頃にその写真を見て感激した場所ばかりだった。 子供時代は金がない。 だからこそ、なけなしのお小遣いをためて買った、それらの写真集は私の宝物だった。 何度も何度も、見返していたものだ。

いつか・・いつかきっと行こうと思っていた。

やがて、上高地や北海道は行く機会に恵まれた。 (特に北海道は、その後、何度も行く機会に恵まれた) だが・・・屋久島だけは中々行く機会が無かった。 言わば、私にとっては最後の砦みたいな存在であった。

コラムニスト タンバリンマン
タンバリンマン?丹波燐漫?
日々修行中の某道場でスカウトされた、 旅・楽器・歴史もの好きな「気まぐれ人」。 忍者と勘違いされがちだが(?)、正体は自分でも不明。

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世界遺産 日本編1(屋久島1・2)>>



* 記事内の写真で特記してないものは、当時旅行中に撮影。


今度こそ  屋久島

鹿児島を飛び立った 飛行機の窓から屋久島の山々が見えてきた。 鹿児島からは、つごう30分ぐらいだったろうか。 飛行機だと、本当にあっけない。 だが、私の心の中は安堵の気持ちで一杯だった。 やっと・・やっと!今度こそ。屋久島に辿り着くことができる! その旅は私にとってリベンジだった。

というのも、その年の夏、私は種子島と屋久島に行くつもりで東京を飛び立ったのに、種子島で台風に見舞われ、種子島を出れなくなった苦い経験があったのだ。

そう、台風のせいで種子島に閉じ込められてしまったのだ。 夏に旅した時、鹿児島から種子島に向かうフェリーの中で、 近付く台風に嫌な予感がしていたのだが、翌日その予感は適中してしまった。

翌日、種子島から屋久島に行くフェリーの便は全て欠航。 種子島滞在を一日伸ばしてみたが、翌日もダメだった。 行けるなずもなし。

屋久島にはどうしても行けそうもないので、あきらめて飛行機で鹿児島に戻り、 指宿に向かうことにした・・・。 (なぜか、鹿児島に向かう飛行機は、わずかに便が復活していたので)まあ行ってみたら、指宿も良かったけれど(笑)。

あの辺りは「台風銀座」と呼ばれているらしい。 鹿児島から種子島や屋久島に向かうフェリーや飛行機は、天候のせいによる欠航が多いらしい。 ある程度のそういう予備知識はあったものの、あの辺りの夏の気候をちょっと甘く見たのがいけなかった。
▼屋久島へのアクセス

▽航空機
鹿児島空港< 約40分>屋久島空港
運賃:大人(片道)11,870円
日本エアコミューター>>

▽ジェット・フォイル
鹿児島本港<>宮之浦港・安房港 1日4往復
鹿児島本港<約2時間05分>屋久島(指宿経由)
鹿児島本港<約2時間35分>屋久島(種子島経由
鹿児島本港<約3時間05分>屋久島(種子島・指宿経由)
いわさきコーポレーション>>

▽フェリー
鹿児島本港< 3時間45分>宮之浦港 1日1往復
折田汽船株式会社>>

ここで教訓を。 屋久島や種子島に旅しようと思っている方は、夏は相次ぐ台風への覚悟を。 行くための足として、鹿児島からのフェリーは快適だ。 窓から見える開聞岳や桜島の勇姿に惚れ惚れとすることだろう。 ある程度の時間はかかるにしろ、旅を楽しむには、もってこいだ。

ただ、天候不良による欠航率は、飛行機よりフェリーの方が高いとも聞いた。 飛行機だと、てっとり早く着くには有効だが、ちょっとあっけないかも。 まあ私は前回フェリー便にしたことで屋久島に行けなかったような気がしたので、 リベンジ旅行では飛行機を選んだ・・・ってわけだ。
 
まあ、それはさておき、夏の旅で屋久島に行きそびれた私。 台風のせいで、種子島からは隣の屋久島の「や」の字も見えなかった。 (地図を見ていただければ、お分かりいただけると思うが、 屋久島と種子島は、まさに「お隣さん」なのだ。) 近いから、本来見えるはずなのに。 口惜しかった。

すぐそばに・・・目の前に屋久島があるのに行けない。 あれほど憧れ続けた島だったのに。 行くつもりで来たのに行けないとなると、まるで目の前でおあずけくらったような気になり、余計に行きたくなるから始末が悪い。

その時は、中途半端な旅に終わり、そのまま東京に帰るはめになってしまった。 どうにも収まりきれぬ私は、その年の年末に再度、屋久島行きを決めた。 あのままじゃ、どうも心の健康にも悪かったし(笑)。

ふふ・・・冬なら台風も来るまい。 大雪で飛行機が飛ばないなんてことも、ここならあるまい。 (もっとも、屋久島の山々には、冬はちゃんと雪が降るという) ・・・そんな気持ちがあったからだ。

夏に屋久島に辿り着けずに引き返して来た時以来、どうもモヤモヤしていたから、 今度こそ辿り着けると分かった時は、嬉しかった。 始めて見るその島の姿に胸が高鳴った。

私を乗せた飛行機は下降を始めた。窓には島の姿が斜めに映し出される。 島の景色が見る見る近付き、やがて等身大で感じられる程にリアルになってくる。 さあ、ついに屋久島に到着だ!


▲栗生付近の屋久島 ©屋久島写真館>>
 
洋上アルプスとも呼ばれる、島の山々が実に美しい。 神々しさがある・・とでも言ったらいいのだろうか。 高さといい、色といい、山姿に品を感じる。 この島は雨が多く、湿気が高いと聞いていた。

だが、その日の快適さはどうだ! 年末だというのに、あまり寒く無いし、空は青空! 旅人を包む風も心地よい。「はるばる、ようこそ」と囁いてくれてるかのようだ。 夏に来れなかった分だけ、屋久島の神様が私にお詫びしてくれてるような気分だった。

小さな空港を出ると目の前は駐車場で、レンタカー屋さんの姿がポツポツ。 さっそく1台の車を借りて、いざ島の外周巡りに出発。 東京とはワケが違う。 道がすいている。窓を開ける。風を肌で感じる。空が気持ちよく広く、高い。 音楽もラジオもいらない。島の自然そのものが音楽であり、そこには詩がある。 こんな贅沢な運転環境は、そうは無い。 運転は実に快適。

やがて、車は白谷雲水峡に着いた。 駐車場からは、遠くに海が見える。そう、ここは島の内部に入った所なのだ。 ここは、あまり奥まで探索する時間はなかったが、 心にイメージしていた「屋久島らしさ」が随所に見られ、嬉しくなる。 期待にちゃんと応えてくれる。 屋久島らしい大杉が来訪者を迎えてくれる。


▲白谷雲水峡

歩いていると、体の奥底まで緑を浴びる・・そんな感じ。 本当はず〜〜っと奥まで探索したかったが、それをするには朝から丸一日 白谷雲水峡のために予定を組まなきゃいけないだろう。 また、そうでもしないと白谷雲水峡には申し訳ない・・というものだ。



とりあえず外周道路を走ってみたいので、車に戻りドライブ再開。 ドライブの途中、気が向いた所で車を止めてみる。 ウミガメの産卵する浜辺や、灯台、滝などの景色が良いのはもちろんだが、 高台を走る道から見下ろす何気ない岸壁や海の景色が実に良い。 海面への陽の照り返しの雄大な美しさには、本当に心が和む。平和だ。



道を走る車が少ないのを幸いに、ちょくちょく車を止め外に出て、 しばし景色をボ〜ッと眺めてみる。私は陽光を浴び、シルエットになる。 太陽へと続く水平線の彼方には何があるのだろう。 水平線まで続く、海面の太陽光の帯。 例えば、この帯を何かが渡ったという伝説が、 密かに残っているのではないかとさえ思える。 名も無いビューポイントが、後になってけっこう心に残っていたりする。

ドライブの途中、異様な気分にさせられたのは、西部林道と呼ばれるエリアにさしかかった時だった。 ここらへんでは道は高台を走り、海面ははるか下方にある。 私が行った時は、私の車以外には他の車は走って無く、その林道がまた、 無理して土地を切り開いて(と言うか、海に落ちる山の中腹の森林地帯を切り開いて) 通したような場所。

車は異様な緊張感に包まれた。 なぜなら、・・・気が付けば道の両サイドや木々の上からは多数の野生猿がジ〜〜ッと こちらを睨み付けて座っている。 いわゆる「ガンをつけてる」ってヤツだ。 もし、車を止めたり、外に出てみたら、どうなったのであろうか? 私は襲われたのではないだろうか?

日光などで野生の猿が人間に危害を加えているという話を思い出した。 日光のような観光客で混んでいる場所と違い、 そこには私の運転する車に乗っている人達以外に人は居ない。 襲われても、誰かに助けを求めようもない。

数えきれぬくらいの野生猿の目は、明らかに我々の目を見ている。「何しに来た!?」とでも言いたそうに。 猿と目を会わすのを避けて、私は一定のスピードを保ちつつ、平静を装いながら エリアを通り抜けた。

この林道が走っている場所は本来、猿のテリトリーだったのかもしれない。 猿の縄張りに、道を通したのかもしれない。 しかし、ここを繋がねば外周道路は完成しなかったのであろう。 人間と野生動物と、自然の共存というものは、微妙なものであるに違い無い。

ただ・・・林道の景色そのものは、実に感じの良いものであった。 海寄りの木立の合間から差し込んでくる陽光、その木々の先の明るさは多分に海が反射した太陽の眩しさによるものに違い無いし、またそれらと、日陰になっている林道とのコントラストが美しい。 心が洗われるようでもあった。

ドライブを続け林道を抜けると、視界が開けた。 こちらを睨み付ける猿の大軍から抜け、少しホッとした気分。 ちょっとしたトンネルを抜けたような感じ・・・とでも言おうか。

なおも進み、「大川の滝」で車を止め、しばしひと休み。 休憩にはもってこいの場所だろう。屋久島の観光ポイントの一つだ。 滝の音とハーモニーする、あたりの環境音が心地よい。

空港から島の外周道路を時計と逆廻りでドライブして数時間。 旅の宿「いわさきホテル」に到着。 大きなホテルだった。 部屋の窓から見える遠くの海、宿の周りの自然環境、どれも広々として良い。 相変わらず緑が濃い。 屋久島に来てしまったんだなあ・・としみじみ思うと感慨もひとしおで、 目が遠くを見ているのに気づく。


▲モッチョム岳

また、ホテルの裏手には、モッチョム岳がそびえたつ。迫ってくるようでもある。 一度見たら忘れられない形をしている。その山姿の印象的なこと。 ぜひ一度皆さんにも見ていただきたい。

屋久島は、そんなに大きな島ではないし、私が行った時は道が空いていたので、 途中寄り道をしながら廻っても、半日もあれば一周できたのではないだろうか。

島内の移動を路線バス(?)に頼ると、バスは決して本数が多いわけではないから、 時間のロスが多いだろうし、移動の制約も多かろう。 それゆえ、ここを訪れる旅行者には、島内移動はレンタカーを絶対にお勧めする。

景色が良いので、ドライブは実に快適だ。 都会などの混雑した町でのドライブなどと違って疲れないし、 だいいち運転していて楽しい。 これ実感。

さて、明日はいよいよメインイベント、縄文杉への登山だ! 早く寝なくちゃ。

「縄文杉」編へつづく>>

▼屋久島の歴史

▽607年〜
607年、屋久島が隋の正史「随書」に歴史上初めて登場。
夷邪久(いやく)国と記載。
616年以降、日本の歴史に「掖玖 」・「夜句 」・「邪久 」として登場。
753年、鑑真・大伴古麻呂・吉備真備を乗せた遣唐使船が屋久島に寄港。

▽平安時代〜
近衛家の荘園になる。
1543年、禰寝氏の領土となる。
1594年、島津氏の領地となる。「屋久島置目 」が出され、森林資源の統制がしかれるようになる。
1599年、領主が島津氏より種子島氏へ。
1708年、イタリア人宣教師シドッチが屋久島に潜入。薩摩藩は、以後、外国船の監視に力を入れた。

▽明治〜
1869年、奉行制の廃止。
1904年、「地租改正 」、「官民有山林境界踏査 」の結果、山林のほとんどを官有林とされた、島民は、農商務大臣に対して、国有山林下戻請求の行政訴訟を提起した。が、国の勝訴となり、屋久島の山林のほとんどは国の所有ととなった。

▽大正〜
1921年、明治以来の種々の住民運動の結果、「屋久島国有林経営の大綱 」が発布される。

▽昭和〜
1966年、我が国最大の杉「縄文杉」が発見される。

▽平成〜
1994年12月、ユネスコ世界自然遺産に登録された。


▼世界遺産
「世界遺産条約」とは、1972年に第17回ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)総会で採択された条約。
世界遺産資料館>>

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