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丹波の巻物 第四巻 『よみがえる無人島 』
待てど暮らせど、あがらぬ新巻。
題材あれども、文が進まぬ。
下書きあがれど、進まぬ「あいつ」。
「あいつ」「あいつ」は本原稿よ。
何をお次の主題とするか。
あれこれ悩みはしたものの、今回気軽な小品(?)とあいなれり。
かまえず、書こう。流して頂戴。
原稿と言やぁ聞こえはいいが、その実ただの「ぼやき」かも。
そんな指摘を覚悟にいれて、丹波の巻物、久々登場〜〜〜。
ぺぺんぺん〜!
今回某、言いたいことは、うまく語れているのやら?
はたして出来はどうなのか?
あまたの心配、背に受けて、上出来・不出来を気にかけつつも
丹波の巻物、その四巻。

コラムニスト タンバリンマン
タンバリンマン?丹波燐漫?
日々修行中の某道場でスカウトされた、 旅・楽器・歴史もの好きな「気まぐれ人」。 忍者と勘違いされがちだが(?)、正体は自分でも不明。


あらかじめ記しておかねばならないことがある。

それは、この記事のモトになったものは、全て何十年も昔の、私のおぼろげなる記憶の断片によるものが「きっかけ」である・・・ということだ。 ただそれだけの事・・・。

今回、この記事を書くにあたり、新たに色々思い付く限りで調べてみたのだが、 どうもその現地そのものからの体験談や写真等の資料は見つからなかった。 (遠景写真はあったが) なにせ題材は、あまりにマイナーと言えばマイナーな島とくる。 (地元の人たちにとっては、マイナーじゃないのかもしれないが) どこにあるか、つきとめられただけでも良しとしなければいけないのかもしれない。

そ の島の名前は福部島という。 調べた結果、瀬戸内海の小豆島の四国寄りの沖あいに浮かぶ、小さな無人島であるとい うことはつきとめられた。 香川県には九十ニもの無人島があるそうで、福部島はその中の一つにすぎない。

地元観光協会に問い合わせたところ、今この島には猿が多く住んでいるらしい。 とりたてて観光スポットってわけでもなさそうなので、 島に渡る観光船みたいなものは無いとのこと。

この島に渡る手立ては、それこそどこかで漁船を借りない限り無理のようだ。 また、漁船を借りた場合、おうおうにしてその場合は釣り人が主なので、はたして釣り人は、この島に上陸するだろうか・・・とも仰っていた。

遠く離れた東京から、地元の人しか知らないような何の変哲もない(?)小さな無人島 について問い合わせしてくる私のような人に対して、観光協会の人はおそらく 「なんて物好きな人でしょう」と思ったかもしれない。 (その節は、親切な応対、ありがとうございました!)

だが、いい。実際そうなのだから仕方ない。 そう、私は物好きなのだ(爆)。 かと言って、どんな物好きなのかと突っ込まれても、チト困るけど。

ちなみに、島の大きさは0.03平方キロ、海岸線は0.9キロ。 よほど大きな拡大地図でもないと、この島の名前は表記されないかもしれない。 へたしたら、この島の地形の存在さえ省略されかねない。 ここは釣りのポイントの一つのようでもあり、メバルがよく釣れるとか。 だが、生憎釣りの趣味がない私には、その辺のところはよくわからない。

そ れより、なにゆえ私が瀬戸内海の小さな無人島について触れる気になったのか。 それを記しておかねばならない。 また、この記事は、題に「無人島」という言葉を入れているが、決して無人島全体への思いや資料を語るものではない。(だいいち、そんなの無理じゃ!)
対象は、そう瀬戸内に浮かぶ、たった一つの無人島にすぎない。

東京で生まれ育った私にとっては、この島は本来ならあまり馴染みがない筈である。 旅で立ち寄った経験でもあれば別だが、残念ながらそういう素敵な経験は無い。 人からその名を聞いたことも無ければ、島の一般的知名度も無い。 人も住んで無ければ(まあ、無人島というのだから当たり前か)、私が住んでいる場所 からはとても遠く、見たことすら無い。

というか、情報そのものがほとんど無い。 こう無い無いづくしの条件が重なりあっては、まともにいけば、とても私なんぞには 知り得ない島の筈。
なのに・・・ああ、それなのに。 昔から私はこの島が気になって仕方なかったのだ・・・。

それにはちゃんと理由があった。

少年の頃の遠い記憶のせいで。

きっかけとなったのは、学習月刊誌。 記憶がおぼろになった今となっては推測にしか過ぎないが、その月刊誌の名前は、 おそらく学研の「科学」か「学習」。 この学研の「科学」と「学習」という月刊誌は、御存知の方も多いことだろう。 毎号いかした教材(「付録」とは呼ばないところがニクイ)で読者を魅了していた学習月刊誌だった。

あれは確か小学六年の夏休み号だったと思う。 「科学」だったか「学習」だったか、どちらであったかはもう忘れてしまったが (「科学」だったような気がするが)、「夏休みの自由研究ネタ」企画があった。 子供達が、ある無人島に渡り、その島の調査をするという企画があった。 で、子供達が渡った無人島の名前こそ、この福部島であった筈だ。

「無人島」。この響きよ!
東京で暮らしてる子供にとっては、なんてそそられる響きであったことか! アニメや漫画の「冒険ガボテン島」という作品の影響もあったのは間違いない。 ガボテン島の他にも、例えば「十五少年漂流記」(ガボテン島はこの作品がヒントになっている筈)という物語もあったが、漫画小僧だった私にとっては、 やはり「冒険ガボテン島」だった。

皆さんは「無人島」という言葉から何を想像するだろうか? 考えてみれば、無人島なんて無数にある。 人それぞれの、その人だけの無人島像があることだろう。

ある時それは絶海の孤島かもしれない。
(例えばアイルランドの海に浮かぶスケリグ・マイケル)

身近な海岸から沖の方に見える、ちっぽけな岩の固まりかもしれない。
(う〜ん、小さい岩などの場合、島と呼べるのか?)

平ぺったい島である場合もあろうし、空に高く突き出た尖った島かもしれない。 (ちなみに、ガボテン島は後者にあたる。)

以前は人が住んでいたが、今ではさびれて誰も住まなくなった島だったりもする。 (前述のスケリグ・マイケルは、これにもあてはまる。ちなみに、そこは昔は修道院だったとか。ともかく私をひきつけてやまぬ島で、マチュピチュ遺跡やギアナ高地と並んで、死ぬまでに一度は行ってみたい場所の一つ。)

南方の暖かいエリアに浮かぶ、ヤシの木でも生えたトロピカルな小島だったり。 (このイメージを持つ人は、けっこう多いかもしれない。)

かと言えば、深淵な北方の海や湖に浮かぶ神秘的な島だったり。
(例えば摩周湖のカムイシュ島。)

あるいは、人にまだ見つけられていない島とか。
(で、そこには精霊や未発見の動・植物がいたりすると面白い。)

かと言えば、絶滅危惧種や貴重生物の保護のため、無人島のまま保護されてる島とか。 (ガラパゴスなどがそれにあたる。←これまたいつか行ってみたい・・)

「海賊の宝なんかが埋められてる秘密の無人島・・・なんてのも面白い。」 (ちなみに、鹿児島のトカラ列島にはスティーブンソンの「宝島」のモデルとなった、 その名もズバリ「宝島」という名の島がある。海賊キャプテンキッドの宝があったとさ れる島だ!ただし、有人島であって、無人島ではないが・・・)

挙げればいくらでも例は出てくる。
他にも、まだまだ沢山の無人島像があることだろう。

ど うも普段の生活からあまりにかけ離れているだけに、様々なイメージが湧く。 中には実在するお気に入りの無人島の名前を挙げられる人もいるかもしれない。 特に海沿いに住んでいる人は。 だが、実際に無人島体験した人にとっては、無人島とは決してそんな甘いものではないだろう。

食料、電気、飲料水、住居、医療、通信・・・他、様々な問題がある。 猛獣でも居た日には、身を守る術も必要になってくる。 サバイバル生活なのだから。 誰かと複数で過ごすことにでもなれば、当然人間関係もからんでくる。 これなんかデリケートな問題だ。

数年前、某テレビ番組で、無人島での生活、及びそこからの脱出の企画があったが、 その映像見てたら無人島生活は悲惨であった。 ガボテン島での生活など夢のまた夢に過ぎないし、それは一種のファンタジーでもあった。
(もっとも、登場人物達のサバイバル生活の苦労や問題点も描かれていたが、 子供心にはそれは楽しそうに見えた)

だが。 漫画等から自由にイメージを脹らまし空想するのは、子供の自由だし、特権でもある。 そして才能でもある。 それが夢となり現実生活に昇華し、大人になった時、何かに結びつく人もいるだろう。 子供は進路に選択肢が多いのだ。

昔、子供達は近くの遊び場で「本拠地」とか「秘密の隠れ家」等を 作ったりしたものだった。(今の子供もやるんだろうか?) 私とて例外ではなかった。 そして、その究極の「本拠地」「秘密の隠れ家」のイメージこそ無人島であった。

親も先生もいない、友達同士だけのメンバーがそこに居て、見張り場所、会議室、 くつろぎの場所、応接室、娯楽施設、寝室、食堂などを作りたかった。 そうそう、木と木の間にはハンモックを吊るし、昼寝の場所も設置したかった。 あと、抜け穴、秘密の退避所なんかも! なにせ無人島、スペースはいくらでもある(笑)。

ガボテン島がそんな感じだったし、少年マガジンやサンデーやキングと言った 少年週刊誌の口絵コーナーにも、よくそんな秘密基地の図解があった。 (特に大伴昌司のグラビア!) 見たり読んだりするたびにワクワクしたもんだ。

話 を元に戻すが、そんなイメージがあったから、前述した学習月刊誌の 「子供達の無人島調査」企画にはワクワクした。 参加した子供達が羨ましかった。

それ以来、かつて小学生が探査した福部島という名前は、私の心の中に深く刻まれていた。 自分なりに様々なイメージを膨らませて。 どんな島だったのだろう・・・・という思いと共に。
▼ 学研の「科学」と「学習」
学習研究社(1946年創立)の雑誌。
1946年7月 「初等5年の学習」「初等6年の学習」創刊。
1961年9月 家庭・職域販売ルート発足。
1957年7月 「科学の教室」創刊
1963年4月 「科学の教室」が「1〜6年の科学」の学年別となる
(参考:学習研究社の沿革)

▽学研の公式ページ
科学の思い出>>


▼冒険ガボテン島
1967年4月4日〜1967年12月26日
TBS系、毎週火曜夜7時00分〜7時30分
原作: 豊田有恒、久松文雄
遊園地マリンランドの潜水艦に深夜にこっそり乗り込んだ子供達5人。ケンカになった拍子に繋留が解けて発進してしまう。孤島ガボテン島に漂着して…

原作は1996年に扶桑社文庫で復刻されており、巻末に後日談があります。


▼十五少年漂流記
ジュール・ベルヌ著
ニュージーランド、オークランド市の小学生14人は、夏休みに船でニュージーランドを一周する予定でした。が、出航を待ちきず、前の晩から船に泊まることに。子ども達以外には 世話係の黒人の少年ひとりだけ。
その夜、寝ている間に綱がほどけて船が岸を離れて、無人島に漂着。
様々な体験を経て、2年に渡る長い「夏休み」が終わりました。


▼スケリグマイケル
Skellig Michael/アイルランド
大西洋の絶海にそびえる海抜218mの岩礁。
頂上付近には石積みの礼拝堂、ケルトの修道士たちのドーム型石積みの簡素な僧坊が残る。現在は無人島で野鳥の宝庫。近くの港町から一日数便の観光船が就航。1996年に世界遺産に登録された。
(参考:アイルランド政府観光庁HP)


▼カムイシュ島(摩周湖)
摩周湖に浮ぶほくろのよう小さな島。大きさは110×40m、高さは31m。この島は、高さ約240mの火山の頂上部。 カムイシュはアイヌ語で「神となった老婆」。


▼ガラパゴス
エクアドル本土から約1000km。ガラパゴス諸島は600万年前の海底火山の活動で誕生。13の大きな島々と6つの小さな島、無数の小島がある。エクアドル共和国の国立公園。
1835年、イギリス人チャールズ・ダーウィンが訪れ、進化論を書く動機となった。
▽ハリエット/Harriet
進化論のダーウインが、 ガラパゴス諸島からロンドンに持ち帰ったメスのガラパゴスゾウガメ。推定172歳/動物界の長老。
現在生存するすべての動物のなかで一番長生きだと思われる。現在はオーストラリアの動物園にいる。DNA鑑定の結果1830年の11月に孵化したことが判明。
カメさんの姿をみる>>


▼大伴昌司
1936-1973
怪獣博士、SF研究家、映画評論家、翻訳家。
1966年〜1972年まで『少年マガジン』のグラビアを担当。
著書に『怪獣大図鑑』、『世界SF映画大鑑』などがある。


▼宝島
トカラ列島最南端の島。隆起サンゴ礁でできている。 鹿児島から船で8時間、奄美からは3時間。 スティーブンスンの小説「宝島」のモデルとなった。島内に、キャプテンキッドが財宝を隠したと伝えられている鍾乳洞がある。


▼余談〜「お宝」
お金に関する漢字はご存知の通り「貝」の部首が付きます。 古代中国の「商」で使われていた通貨は貝でした。(この辺は歴史で習いますね。)
その貝は「宝貝」(キイロダカラ)で、これは中国では採れません。 トカラ列島で採れたものを、朝鮮半島経由で輸出していました。
輸出していたのは、高麗(たから・国名)で、中国では高麗(コーリー)と呼ばれました。 宝貝もコーリーです。いまでも韓国のことをコーリアと呼びますね。

キイロダカラの学名はMonetaria moneta moneta。ラテン語のmoneta は英語のmoneyです。 英語名はMoney Cowrie。
日本人がお金のことを『お宝』と言うのはこういう理由だという説があります。

ちなみに、トカラ列島も本来の名前はタカラ島。 沖縄地方の言語は三母音で「え」と「お」がありません。 なので、トカラは本来タカラです。「さとう」が「さーたー」になる理屈です。 (さーたーあんだぎーってお菓子がありますよね。)

その後何十年という月日が生活の中で過ぎてゆく。

何事もなかったかのように。

時折テレビや雑誌等で無人島の話題が出ることがあり、そのつど 「ん?もしや福部島か?」 と反応し、注意して見てみると全然別の島の事ばかり。 福部島の事が話題になる事は一度たりとも無かった。 少なくとも私が知る限りでは。

時 には本屋で旅関係、島関係の本を立ち読みして福部島の事を探したこともあった。 一回や二回どころではない。 だが、いつも見つけられなかった。

もしや・・この名前は私の記憶違いなのではないだろうか。
あるいはもう、そんな島は無くなってしまったのではないか?
(島がそんな簡単に無くなるか!↑)
段々そんな思いが強くなっていった。 あきらめと共に。
忘れた方がいいのだろうか・・・。

そ んなある日(私がまだネットをやってなかった頃)、別の用事で図書館に行った時のこと。 本来の調べモノが終わって、時間的に少し余裕ができたので、島の資料が載っている分厚い本(島の百科辞典みたいなものか?)を手にとって、なにげなく調べてみた。

・・・・・すると!
あ・・あった!
あったのだ。
「福部島」、そういう名前の島が。

その名前は決して私の記憶違いではなかった。 その確認に何年、いや、何十年かかったろう。 流れ行く時の中で、とうに私の心の中に沈んでいった筈の一つの「おぼろげなる無人島」が、実体を伴ってその時、私の中でよみがえった。 いや、この場合、「よみがえった」というよりも、「一気によみがえってきた」 と表現した方がいいかもしれない。

その時の気分を映像に例えると・・・
記憶の海の底に沈んだおぼろげな無人島が、いきなり海底から海面にザバ〜ッとせりあがってきて、たちこめてた霧が晴れて、島が自身の姿を露(あらわ)にしたような感じ ・・・とでも言おうか。 ・・・と書くと、ちょ、ちょっと(かなり?)大げさかな(笑)。 まあ、この辺はけっこう漫画的な表現です(汗)。 でも、その時の私がそんな気分であったのは、あながち嘘ではないのだ。

ともあれ、その分厚い本のおかげで、その島の場所も大体見当がついた。 (その本の中では、数行の文字だけでの簡潔な説明だけだったので、「大体」という表現を使った) その場所は、前編でも記した通り、瀬戸内海だった。 小豆島の近くだということも分かった。 だが、その本で分かったのはそこまで。 よほどマイナーな島なのだろう。 でも、「無人島」なるもの、そうでなきゃいけない(笑)。

本 での探索(?)はそこまでが限界だった。 だが最近はインターネットという強い味方がある! ネットで調べると・・・・数件ヒットしてくれた。
具体的な場所、島の大きさ等も拡大地図が載ってたおかげで大分明らかになった。 遠景の写真もあった。

なんでも小豆島の「二十四の瞳」映画村の校庭から沖に見えるとか。 思ったより人里に近いのはちょっと意外だったが、雑誌社が自社の企画で小学生の子供達を連れて行くには、あまりにリスクも負えないだろう。 仕方ないのかもしれない。 (本当はもっと沖合いの彼方であって欲しかった気もするが(笑)、私一人の希望で地形が変化するわけもなし)

あ の時。 当時の小学生の子供達が夏休み企画で渡った無人島は、この島だったのか・・・。 勝手にイメージを膨らませていたせいもあり、実際の最近の遠景写真を見ると、 少し拍子抜けだった(笑)。

でも子供時代の思い込みなんて、そんなものかもしれない。 見つかってしまえば、空想は現実になる。 現実へのイメージはその人の年代、体験、思考ベクトル、願いに比例して変わる。 変わらぬものは、その現実にまつわる、その人の「思い」があった・・という事実であろう。 そしてその「思い」は、確実にそれまでのその人の一部であったということだ。 その思いのおかげで、他の人が受け流すようなことに妙な(?)興味をもち。 それがその人の生活に某かの影響を与える。

こ の無人島の近くを釣り舟が通る。 福部島の名前がヒットするページは、釣りがらみが多い。 かつて小学生の子供達が、夏休みの自由研究企画の取材で、この島に渡ったことなど近くを通る釣り人は知る由もないかもしれない。 そして、ちっぽけなこの島が・・・この無人島の名前が、 昔から気になって仕方なかった私のような物好き人間がいることも ・・・ 知る由はないだろう。

この島の上陸取材の載ってた、その学習月刊誌の記事の最後には、こんな感じの結びがあった。

「まだこの島を十分調査したとは言えない。
だから僕達は待っている。来年の中学一年の夏休みを」

この探検のあった翌年、この小さな冒険者は中学一年になった筈。 しかし、小学校から中学校にあがった段階で友達が離ればなれになる事は、しばしば。 この小さな冒険者達は、翌年この無人島に同じメンバーで上陸調査に行ったのだろうか ・・・。


そ れはただ、この福部島だけが知っている。
だが島は黙して語らない。

そしてかつての少年少女達の、この無人島にまつわる小さな小さな冒険談のことなど気にも止めずに、釣り舟は今日も瀬戸内海を行き交うのだろう。

よく晴れた日の瀬戸内の海は、とてもまぶしい。


丹波の巻物  第四巻 「よみがえる無人島」の巻
〜 了 〜
▼福部島
ふくべじま 小豆郡内海町堀越
大福部島、小福部島の2島からなる。
「ふくべ」は、「ひさご」の古語だそう。
ひょっこりひょうたん島?



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▼スラウギ号で遭難した少年たちは、いろいろな困難によってきたえられたために、国へ帰ったときには、下級生は、ほとんど上級生のように、上級生はおとなとおなじように、りっぱな人間になっていたのである。
ジュール・ヴェルヌ著「十五少年漂流記」( 角川文庫)石川湧訳
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