第四編・最終回 《私のケメ体験》
私が初めてケメを知ったのは、私が中学生の時だった。
彼がデビューしたばかりの時で、ファーストアルバム「午後のふれあい」や、「唄の市」コンサート(ケメや泉谷などエレックレコードのシンガーが一つのコンサートに、何人も出演していた)のライブアルバムなどが出ていた頃だ。
その頃のケメの印象は、
「なんか女の子みたいだなあ」。 と同時に、 「フォークシンガーなのに、ガット・ギター(クラシック・ギター)弾いてる!」 だった。
まあ、シンガーがどんなギターを弾こうと自由なのであるが、 この当時のフォーク・シンガーが弾くギターと言えば、マーチン、ギブソン、ギルド・・・といったアメリカン・アコースティック・ギターが大半。
で、アマチュア・シンガーはと言えば、そんな高級舶来ギターなど買えるわけがない! いつかは本物のマーチンD-45を!と思いつつ、 拓郎好きはギブソンJ-45を、古井戸好き(チャボがいたデュオ)はギブソン・ハミング バードやダブ、ポール・サイモン好きはギルド、そしてスタンダードはマーチンD-18、28、35等の国産コピーモデルを使う場合が主流だったから、ガット・ギターを使うケメは 異色に思えたものだ。
そう言えば、ケメの曲というのはアルペジオが似合う曲が多かった。 それはガット・ギターで作曲をしていたからかもしれない。 つまり、ケメの作風にはガット・ギターが合っていたわけだ。
で、ケメの印象の話に戻るが・・ケメは「良家のお坊ちゃん」みたいにも思えた。それは、Gパンを穿くフォーク・シンガーが多い中で、ケメはスラックス(?)を 穿いていたせいもあるかもしれない。
大半のフォーク・シンガーは、Gパンにアコースティック・ギター。 ケメはスラックスにガット・ギター。 見た目のこの違いは、けっこう印象的だった。
でも・・私はケメに対して、それ以上の興味は初めはなかった。
(好きも嫌いもなかった)
そんなある日。
友達の家に遊びに行ったら、ケメのLPがあった。 何気にケメのLPを聞かされたら、我が家に帰る道すがら、どうもさっき聞いたケメのメロディが頭の中を回り続けている。 どうも私の中の何かの要素が、彼の音楽に反応したらしかった。 いや、この場合「反応した」と言うよりも、「掴まれた」と表現した方が正しい。
「何かの要素」!
今考えれば、それは自分の中の郷愁にも似た少年部分ではなかったか。 ケメの音楽は、リスナーを純粋な少年少女時代に戻してくれるような気がしてならない 。
この記事を書くにあたって、何度も彼の音楽を聞きなおしてみた。
ボサノバ、ブルース、童謡にも通じる日本調の曲、ポップス、フォーク・・・など、レパートリーはバラエティに富んでいる。
また、さりげない転調、当時のフォークとしては凝ったコード。 ストリングスの入れ方や、ブラスの取り入れ方等、サウンド・アレンジ的にも凝っている。 アイドルスターが歌ってもおかしくない可愛い曲も多い。
だが、当時のただのアイドル・スターと違う点は、ケメの曲は彼自身の作によるものであった・・・という点だ。 おそらく、当時の周りのフォークより洗練されたポップス・サウンドだったはず。 再評価されるに足るケメの楽曲は多いと思う。
当時のインタビューで、「作曲家になるのが夢」と語っていたケメ。
「タモリ倶楽部」でタモリに「ケメの曲って、よかったんだよねえ・・・」と、 しみじみ言わしめたケメ。(ケメは、その時出演してたわけではない)
もっと違った戦略で活動していれば、その才能からして生き残ることもできたかもしれないケメ。
シンガーソングライターになる前は「いつも一人ぼっちだった」と語っていたケメ。
ステージで「ウルトラマンの子供〜〜」なんて茶目っ気たっぷりの曲まで披露していた らしいケメ。 病弱な割には、少林寺拳法をやっていたらしいケメ。
そして、今は音楽活動の情報が全く入ってこないケメ。
・・・・・今、どうしているのだろう・・・・。
この記事を書くにあたり、ケメの資料はファンが管理するケメ関連のサイトを参考にさせていただきました。
また、そのサイトの常連の方々から、有意義な情報を掲示板で提供していただきました 。 また、他にはjun-g様からもケメのエピソードを教えていただきました。 皆様には厚くお礼を申し上げます。
◎ 「丹波の巻物」 〜ケメの巻〜 了
*タンバリンマン改め、時代屋だんぞうさんのサイトは
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