昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
Update: Jul.2003
ぽむぽむのなつかし日記  12
「魔窟商店街」1  〜大衆食堂〜

我が家の前に商店街入り口の看板が立っている。

しかし、そこからさらに300メートルほど歩かなければ、本当の「商店街」には着かない。そのうえ、そこから300メートルほどで、「商店街」はぷっつりと無くなる。 都心の商店街とは違って民家の間にポツリポツリと点在する十数件の商店がその全てである。 なんとさびれた田舎町・・

しかし、ここはこれでも町内の中心地。最も賑やかな繁華街なのである。 それが証拠に、町内の主要施設は全てこの通り沿いにあったのである。 学校も銀行も郵便局も病院も・・・

コラムニスト ぽむ

昭和39年 長崎生まれ。 元気いっぱいの女の子でした。動物・海・読書が好き。
今回は、そんな我が家に一番近いところにあった大衆食堂について書いてみよう。 以後、略して食堂と呼ぶことにする。

町内のメインとなる駅の前にあり、わが町の顔的存在であった。 老夫婦ふたりで細々と商っている鄙びた食堂。たぶん、後継ぎなし・・・

店内に入ると土間になっていて、そこに鉄製の足の着いたテーブルと椅子。椅子には緑のナイロンの様な、はたまた皮の様な素材のものが張ってある。 土間は一段高くなって居間へと続いている。

居間には火鉢と飼い猫のミケ。テーブルには客のいるときもあり、またいないときもあり・・たいてい50代くらいのおじさんが、タバコを吸いつつ店主と世間話などしている。

小型の冷蔵庫が置いてあって、中にはジュースが入っている。スライド式のガラスの扉のついたジュース専用の冷蔵庫である。 冷蔵庫の側面にはパイゲンCのキャラクターの男の子。ペットボトルは無い時代で、ガラス瓶かヤクルトなどの特殊な容器主流。

冷蔵庫の脇には、栓抜きと牛乳ビンのふた開け(名称不明)が吊るしてあった。 入り口付近には、駄菓子の並んだ棚とアイスクリーム専用の冷蔵庫。

遠出のできない子供にとっては、この店の商品が手に入る全てであった。 もともと、近所の子供の日常的なおやつ専門店なので、たいしたものは置いていない。

価格帯は5円から50円ほどではあるが、普段は5円から10円の商品を買うのが普通だった。 といっても、当時、菓子パンが25円から30円で、同じ店で売られていたので、お菓子は実は贅沢品。時々のお楽しみ程度である。

この頃、私は近所の保育所に通っていたので、年代は昭和43年あたりである。おなじみの駄菓子は、

●丸いボール状のガムが、ひと箱に四粒入ったガム(10円)。 オレンジ味とイチゴ味。
●フィリックスガム。赤いパッケージにアメリカンなキャラの顔(10円)。
●スナックならベビースターラーメン(10円)。 キャラが今とは違うレトロ顔。
●チョコレートならチロルチョコ、今と違って三粒がつながった形で、中の飴は硬かった。羽根付きのチロル風帽子のイラスト(10円)。
●不二家ペンシル・パラソルチョコ、めがねの形のチョコ。
●板状のガム三枚入りキャラクター物(10円)。 これは、いつも包み紙に趣向が凝らされていて、写し絵タイプのシールだったり、塗り絵だったり狭い紙面で如何に子供を楽しませるか工夫があった。

あとは、ばら売りのゼリーや、菓子ビンの中に入ったせんべい。

●静かなブームの「サラダ一番」(10円)。
●袋にパーマンの絵の書いてある綿菓子(10円。)
●透明セロファンのパッケージで、ぺコちゃんの顔のイラストの付いたウエファース(10円)。 などなど・・・

近所の友達と誘い合わせてよく買いに行った。 三枚入りガムで、あたりが出てニャロメのバッジをもらったり、別の日には友達が、粒状のガムで八連続当たりを出したりもした。

ここの商店の品揃えは有名メーカー商品が主流で、いわゆる「本格駄菓子屋商品」とは違っていた。 「本格駄菓子屋商品」とは、もっと体に悪そうで、毒毒しい色合いでうさんくさく、はっきりした商品名など無いものである。 それらは行動範囲が広がる小学校時代まで手に入ることは無かった。

ある日、その行きつけの食堂に新商品がお目見えした。 「プリッツ」あるいは「プレッツェル」 たぶん30円から50円だったと思う。 とにかく高価だった。

「無駄遣いしちゃダメよ」母の言葉が耳をよぎる。 しかし、一緒に行った友達三人は皆、それを買った。 それからしばらくの間は「プリッツ」を横目で見る日々が続く。

そんなある日、突然にチャンスは訪れた。

ヒイばあちゃんが家にやってきたのである。 「ちょうど、銀行に用事があってね・・・ ついでに、顔を見ていこうと思って」 ヒイばあちゃんはそう言って笑った。

「さあ、○○ちゃん これで、アンパンでも買って食べなさい」 そう言って、ヒイばあちゃんは、私の手に100円札を手渡した。 輝くばかりに神々しい板垣退助の姿がそこにあった。

ちなみに、ヒイばあちゃんの薦めたアンパンはもちろんシンナーの事ではない。 「アンパン」は、ヒイばあちゃんにとってこの世で最もおいしいものの総称なのである。 いつも「何かおいしい物でも買いなさい」という代わりに「アンパンでも買いなさい」と言う。一種の決り文句なのだ。

貰う貰わないで、大人たちがいい争っている隙に、「ちょっと、お菓子買いに行ってきまーす」と飛び出した。 目的はもちろん「プリッツ」である。 買って帰って、ヒイばあちゃんに報告し、早速開けてみる。 母は話に夢中できつくは咎めない。

早速取り出して、一本齧ってみる。未体験の香ばしい香りが、口の中に広がった。その時である、ヒイばあちゃんが素っ頓狂な声で叫んだ。

「あれーー この子は 竹の棒を食べてるよ!」

ヒイばあちゃんの目には、プリッツは竹の棒に見えたらしい。物凄いジェネレーションギャップである。その後、プリッツの一かけらをヒイばあちゃんの口に押し込んで、何とか納得してもらった。














▼パイゲンC
1968年頃(昭和43)クイズでオウムが当たるキャンペーンをやっていた。
その時の一羽がここ>>で生きている。


▼『オレンジマーブルフーセンガム』

1959年(昭和34)丸川製菓が発売。
1972年(昭和47)『いちごマーブルフーセンガム』発売。


▼『フィリックスガム』

1964年(昭和37)丸川製菓が発売。
1958年頃(昭和33)『マルカワガム・ジャガーの眼』『とんま天狗ガム』
1964年(昭和39)『ビッグXフーセンガム』
1965年(昭和40)『ひょっこりひょうたんガム』
1970年(昭和45)『ネコジャラ市の11人マーブルガム』


▼ベビースターラーメン

1959年 松田産業有限会社が「ベビーラーメン」10円で発売。
1973年 商品名を「ベビースターラーメン」に変更、20円に。
♪ 松田のベビースター ベビースタラーメン♪
1980年 松田食品株式会社に社名変更、30円に。


▼ パラソルチョコレート
1954年(昭和29)不二家が発売。


▼ ペンシルチョコレート
1960年(昭和35)不二家が発売。


▼チロルチョコ

1962年(昭和37) 松尾製菓株式会社が
「チロルチョコ」ミルクヌガー( 3つ山)10円、発売。 1973年(昭和48)20円に。


▼プリッツ

1966年 グリコが「バタープリッツ」(30円・50円)発売。
スナック分野への本格参入商品となる。


▼プレッツェル
カバヤ


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