---ゴーディ・ラチャンス
![]() |
|
昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン |
Update: Mar.2006 |
|
スタンド・バイ・ミー
私は12歳の時の友人に勝る友人を、その後持ったことがない。
---ゴーディ・ラチャンス
|
▼スタンド・バイ・ミー THE BODY:スティーブン・キング著 |
|
子供の頃、瓶入りのジュースといえばチンパンジーのCMでお馴染みの『バヤリース・オレンジ』だったが、1960年代の終わり頃にタケダの『プラッシー』を知った。 発売は1958年。タケダの提供の番組は良く見ていたのに、知らなかったのは、TVCMに力を入れ始めたのがこの頃だったのだろうか? たしか、69年のラジオ体操のスタンプカードに広告があったと思う。 『プラッシー』は果汁入りで、こなれていない「さのう」(つぶつぶ)が入っているのが特徴だった、そして、誰もが憶えているのが「お米屋さんで売っている」だった。 何故、他のジュースが酒屋に置いてあるのに『プラッシー』は米屋だったのか? 検索しても情報が見つからないので考察してみよう。 発売当時、自家用車は普及していなかったので、瓶入り飲料は宅配出来る店に置くしかない。となれば、サザエさんでお馴染みの三河屋(よろずや)か酒屋か燃料店、米屋という事になる。 発売元の武田食品は酒屋への流通ルートを持たないが、米屋にはあった。ビタミンB1強化米『ポリライス』を卸していたからだ。 たぶん夏休みのお昼の番組だったと思うが、子供向けの料理コーナーで『プラッシー』に牛乳を混ぜた飲み物と目玉焼きの作り方を紹介していた。たまたま家にあった『プラッシー』で試すと『ヤクルトジョア』のようになり、美味しかった想い出がある。 一緒に作った目玉焼きは、割ったあとの卵の殻で水を汲み入れ、フタをして蒸し焼きにすると半熟でも綺麗に膜が張るというものだった。殻を使えば分量も丁度良く、カップも使わずに済む。 常識なのだろうけど、当時の我が家の目玉焼きは白身の縁がパリパリになる程の堅焼きで、半熟の目玉焼きは目から鱗だった。 その番組で殻を片手で割る事も覚えて、よく自分で焼いたものだが、いつの頃からか卵の殻が薄くなりはじめ、最近では気をつけて割らないと、細かい欠片が剥がれ落ちてしまう事がある。 というような事を考えながら目玉焼きを焼くたびに、『プラッシー』を思い出すのだ。 |
|
昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン |
Since 25 Dec. 2001 |