昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
Update:Nov.2006
スタンド・バイ・ミー
私は12歳の時の友人に勝る友人を、その後持ったことがない。
---ゴーディ・ラチャンス
▼スタンド・バイ・ミー
THE BODY:スティーブン・キング著

ママと遊ぼう!ピンポンパン 〜猩紅熱の友〜

時には母のない子のように♪

カルメン・マキのなげやりな歌声が流れていた頃、私は一時的に「誰にも恋を話せない」子になっていた。猩紅熱(しょうこうねつ)で入院したのだ。

当時、猩紅熱は法定伝染病で、隔離病棟へ入らなければならなかったが、診断を受けた病院にはなく、たまたま個室が空いていたので、一般的な溶連菌感染症として扱うことになった。

学校で聞かれたら「ようれんきんかんせんしょう」と答えなさい、と教えられたおかげで、舌を噛みそうな病名の読み書きが出来るようになった。

入院は一週間弱だった思う。ずっと面会謝絶で外出も出来きず、本を読んで過ごした。退屈しのぎに体温の記入用紙にトナカイの絵を落書きしていた想い出がある。

何故、トナカイかといえば、年末に観た子供番組『ママと遊ぼう!ピンポンパン』の「えかきうた」の題材がトナカイだったからだ。すでに対象年齢からは外れていたが、冬休みに入っていたので弟につきあったのだった。

小学校を卒業した春、ピンポンパンはタイトルが『みんなであそぼう!ピンポンパン』に変わった。『時には母のない子のように』が物議をかもしていた記憶があるが、そういった流れで「母親のいない家庭に配慮した」という理由だったと思う。

ところが、秋の番組編成期には直子おねえさんが引退して『ママと遊ぼう!ピンポンパン』に戻った。本当の理由は知らないが、子供を卒業したばかりの私には、大人の場当たり的な対応に見えて、なんだかなぁ〜と思ったものだ。

▼ピンポンパン えかきうた
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