昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
Update: Aug.2007
スタンド・バイ・ミー
私は12歳の時の友人に勝る友人を、その後持ったことがない。
---ゴーディ・ラチャンス
▼スタンド・バイ・ミー
THE BODY:スティーブン・キング著
夏休みの友 〜お目付役の友〜

40日間の夏休み。今から思えば夢のような境遇だが、 今一つ開放感がなかったのは、途中に登校日が三日あったことと、宿題がやたら多かったせいだ。

学習帳の『夏休みの友』、算数ドリル、漢字ドリル、読書感想文、自由課題といったものだが、ドリルのうちどちらかは冬休みだったかも知れない。低学年の時はこれに絵日記が加わった。

主役の『夏休みの友』は学区で異なっていたようで、県内の従姉妹は同じ出版社のものだったが、隣県の従姉妹のは様子が違っていた。ただし、表紙に児童画コンクールの優秀作品が使われているのは同じだった。

基本的に一日一頁で、国語の文章題の場合は見開きの場合があった。主要4教科と副教科で週6ページのローテーションだったと思う。書道、図画各一点の実技が含まれていた。

一頁目は一日のスケジュールを円グラフで作るのが定番で、「お家の方にみてもらいましょう」と書いてあったが、六年生の時は休み前に学校で計画をたてたように思う。もちろん?守れたためしがない。

学習帳のレベルは日頃のテストと同じくらいで、真面目に取り組めば1日15分くらいで終わるものだが、新学期の三日前で七割しか出来てないというのが通例だった。

追い込みでいちばん時間がかかったのは毎日のお天気欄で、今とちがってネットで検索というわけにはいかない。母親と古新聞をもちだして、あの日はこうだったと無駄話をしながら思い出すのだが、〆切に追われているのを別にすれば、楽しい作業でもあった。

小学生最後の自由課題は西部劇の酒場のミニチュアを紙で作った。ワイアット・アープとかドク・ホリデイもいるドールハウスみたいなものだ。最後の数日に慌てて作った記憶はないので、六年間の学習の成果で少し余裕があったのかもしれない。

提出した課題は秋の風が吹き始める頃に戻ってくる。運動会の準備たけなわ。忘れかけた過去からやってきた埃を被った工作は、風化寸前の蝉の抜け殻のように寂しげだったが、その頃は過ぎたことには興味がなかった。
夏休みの友
画像は記憶を元に復刻したものです。


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