昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
Update: Mar.2006
スタンド・バイ・ミー
私は12歳の時の友人に勝る友人を、その後持ったことがない。
---ゴーディ・ラチャンス
▼スタンド・バイ・ミー
THE BODY:スティーブン・キング著
足踏みミシン 〜家庭科の友〜

私の記憶は三歳の誕生日から始まる。ミシンがやってきた日の記憶はないので、実家にあったリッカーの足踏みミシンは1950年代のものだろう。

直線縫いしか出来ないシンプルな物だったが、グリーンとアイボリーの2トーンカラーと角張ったデザインがモダンだった。ヘッドのカバーを横に開くと手元を照らすランプが灯るのが面白くて、昼間でも点けてくれるよう、母親にねだったものだ。

初めてミシンを踏んだのは小学四年生の時。そう、ミシンは踏むモノなのだ。テレビのチャンネルは廻すモノ(笑)。それまで、ボビンに糸を巻いたり、針まで糸を通したりはしていたけれど、縫うのは始めてだった。

最初は逆転して、何度も同じ場所を縫ったが、慣れて調子良く踏めるようになると、初めて自転車に乗れた時のような爽快感があった。デビュー作は学校の雑巾という色気のないものだったけど。

以来、給食袋とか運動会の鉢巻きとか自分の使うものは縫うようになった。おかげで、六年生の家庭科でミシンを習う頃には基本は習得していた。学校のミシンも足踏みだったので、実技試験は楽勝だった。

そんなある日。学校から帰ると、居間に見慣れないスーツケースのようなモノが置いてあった。母親に尋ねると、新しいミシンだという。ケースを開くと中には見慣れた足踏みミシンの上半分だけがあった。 モーターを背負って、電動ミシンに生まれ変わっていたのだ。

早速使ってみると、ブーンと音を立てたあと、一呼吸遅れて勢い良く動き始めた。嬉しいのが半分と寂しいのが半分だった。

これから先、使い始めに台の下からひっくり返してセットしたり、ボビンを収納箱の中に落っことしたりすることは無くなるのだけど、空を駈けるような颯爽感は味わえなくなるからだ。

そうそう、家のミシンは手元ランプ用に電源コードがついていたので、電動になったら、コードが二本になった。間違えると文字通り昼行灯になってしまうのだった。
▼リッカーのミシン
足踏みミシン


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