![]() |
|
昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
|
Update: Apr.2004
|
|
小説 ヒーローの憂鬱
光あるところに影がある。まこと栄光の影に人知れぬ日常の姿があった。
|
▼光あるところに影がある
「サスケ」作詞・三浦久純/作曲・田中正史 |
|
エンドロールが終わり試写室の照明が明るくなっても、一郎は席を立てずにいた。いや、立ち上がりかけたのだが、足元の地面が揺れたように感じて思わず腰を下ろしたのだ。1981年春、東京青山の草月ホール。映画『泥の河』の完成試写会に招かれていた。 スクリーンの向こうは、まさしく自分の子供時代だった。1967年。中学一年生の一郎がレスリングでオリンピックを目指した頃、東一家は隅田川に浮かぶ“だるま船”で暮らし、その足元はいつも揺れていた。閉じた瞼の裏にこの一年がフラッシュバックしていた。 ♪思いがけない ああ グッドタイミング 一年前の春。一郎はアスリートとしてのピークを迎えていた。この年にオリンピックを迎えることは天の巡り合わせに思えた。メキシコ〜ミュンヘン〜モスクワでの五輪三連覇は誰もが認める既定の事実だった・・ ♪いまのきみはピカピカに光って 世間ではオリンピックイヤーと相まってスポーツブームが到来していた。スポーツフーズ、スポーツドリンクが相次いで登場。『スポーツ・グラフィックナンバー』が創刊され、一郎は巻頭グラビアを飾った。『25ans (ヴァンサンカン)』創刊号には25歳の一郎のインタビュー記事が掲載され、前途には初夏の陽光が差していた・・ そして運命の5月25日。 米国がソ連のアフガン侵入に抗議してモスクワ五輪をボイコットしたのを受け、日本も不参加を決定した。一歩一歩踏みしめながら上ってきた人生の階段が、足元からガラガラと音を立てて崩れ去った・・ ♪ああ果てしない夢を追い続け 9月にはピンク・レディーが解散を発表、10月には山口百恵が引退し、巨人軍長島監督が辞任。11月、王が引退した。一つの時代が終わったように思えた・・ ようやく立ち上がった一郎はホールを出て、青山通りをあてもなく渋谷方面へ歩いた。ふと気が付けば、宇田川町にオープンしたばかりのタワーレコードの手前に立っていた。 歩道の脇のドラッグストアから化粧品のキャンペーンソングが流れて来た。 ♪ ほら春先神戸に見に見に見にきてね 14年前へフラッシュバックしていた。山陽新幹線開通前の1967年、山口の道場へ修行へ行く途中、新大阪から神戸方面行きの東海道線に乗り換えた。列車は発車して間もなく淀川の鉄橋を渡る。家族の暮らす隅田川を思わせる川面を行き交うだるま船に一瞬、里心がつきかけた。が、明日への希望が一郎を奮い立たせた・・ 再びフラシュバックが起こった。1964年、一郎は電機店のTVに釘付けになっていた。画面では三宅義信が3種目目のジャーク3回目を成功させ、合計390キロの世界新で金メダルが決定した。三宅の身長は155cm。小柄な一郎はどんなにか勇気づけられたことか・・ タワーレコードの手前を右に折れ坂を上れば、東京オリンピックの重量挙げの会場だった渋谷公会堂がある。一郎は無意識にそこへ向かっていたのかも知れない。 メキシコで一郎と共に日の丸を揚げた三宅義信は28歳、ミュンヘンで惜しくも第4位となったが、当年32歳だった。 「諦めるにはまだ早い」。一郎の足元はもう揺れてはいなかった。季節は春。見上げた空には歩道の桜の蕾が膨らんでいた。 注:この物語はフィクションであり、歴史的事実と異なる記述を含んでいます。
|
▼アニマル1 |
|
昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
|
Since 25 Dec. 2001
|