昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
Update: Aug.2006
「練金術」〜 イミテイション・ゴールド
色がちがう 味がちがう 香りがちがう 値段がちがう♪
戦後、急速に欧米化し、豊かになった食生活。とはいえ、いかんせん資源と経済力が足かせとなっていた。 が、足らぬ足らぬは工夫が足らぬ。 昭和の錬金術をレポートする。
▼ イミテイション・ゴールド
作詞・阿木燿子/
作曲・宇崎竜童/唄・山口百恵
前人の植えた樹:ハウスプリン&ママプリン

日本でプリンといえば、数あるプディング料理の中のカスタード・プディングを指すことが多い。要因は戦後大きく変化した日本の生活文化にあった。

英国生まれのプディングが日本にやって来たのは江戸末期だといわれる。明治5年発行の『西洋料理通』には、干柿ポッディング、生姜ポッディング、蜜柑ポッディング、パアト(ポテト)ポッディング、ライスポッディングが紹介されている。

明治22年の『和洋菓子製法独案内』にパンバタプリン、37年の『食道楽』に米のプデン、マカロニプデン等の記述があり、この時点ではプリン=カスタード・プディングではない。

時代は下って、昭和37年。東京銀座の喫茶『モロゾフ日石ショップ』のカスタード・プリンが評判となった。43年に量産化され現在に至る『モロゾフのプリン』の誕生である。

東京オリンピックを目前に控えたこの時期には、プリン=カスタード・プディングは外食時のデザートとして定着し、レストランのショーケースには、ホイップクリームとサクランボを添えた食品模型が燦然と輝いていた。

そして昭和39年。日本のプリンが再定義される出来事が起きた。ハウス『プリンミクス』とライオン『ママプリン』の登場である。折からの即席食品ブームに乗って登場したインスタントプリンは、本来のカスタード・プディングとは似て非なるモノだった。

プディングは加熱すると固まる鶏卵の性質を利用した料理だが、インスタント・プリンは凝固剤(ゼラチン、寒天)を使うので、粉末に水を加え、鍋で加熱した後は冷やすだけ。むしろババロアかゼリーと呼ぶべきものだ。

何故、本来のカスタード・プディングにしなかったのか?プディングはオーブンで蒸し焼きにするが、当時の一般家庭にオーブン(天火・てんぴと呼んでいた)は普及しておらず、洋菓子を手作りする家庭は少なかった。インスタントを謳うには鍋一つで出来る手軽さが必要だったのだろう。

そして重要なのが「冷蔵庫で作る」という事だ。昭和40年に家庭用冷蔵庫の普及率が50%を超えた。三種の神器と呼ばれた冷蔵庫は庶民の憧れではあったが、所詮容れ物。有り難さを実感出来るモノとしてインスタント・プリンは受け入れられたのではなかろうか?

日本ではオーブンより冷蔵庫の普及が早かった事が、プリンと言う名の和菓子、カスタード・ゼリーを生んだのだ。その後、72年に発売されたグリコ『プッチンプリン』のヒットが、プリンは柔らかく滑らかな物というイメージを定着させた。(*参考 冷蔵庫のデザート>>

現在、冷菓は多様化し、インスタント・プリンの存在感は薄れたように見えるが、ハウス食品の2006年度第三期決算報告書には、『プリンミクス』の売上げ高は6億円で、『フルーチェ』、『グラタン』とともに安定的な収益源として挙げられている。

昨今の「なめらかプリンブーム」も前人の植えた樹あらばこそである。


《余談》
発売当時、我が家にはプリン型は無く、おそらく販促品と思われるプラスティックのカップを使っていたが、後に早く冷える(熱伝導率の高い)アルミのゼリー型を使うようになった。

ゼリー型は底(出来上がりは上)が丸いのでカラメルシロップが流れ落ちてしまうので、カラメルシロップを使わなくなった。こうなると、ババロアとの区別は困難だ。

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ハウス・プリンミクス

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商品情報>>


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