昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
Update: april.2004
チョコっとLOVE
愛しのママママイ ダーリン♪
懐かしいチョコのレポート。試食記は昭和37年以降は発売当初のものです。

パラソルチョコレート

畳んだ傘の形のチョコ。当時は雨傘だと思っていたが、パラソルなので日傘。当時は日傘を差したご婦人をよく見かけたけど、最近はあまり見ないような?

包装紙を剥くときにどんなに気をつけても、先が折れて残ってしまって悔しいのだった。透明のプラスティックの棒は捨てるに忍びず、とりあえず取っておくのだが、(そういえば洗った記憶はない。汚いな)何の役にも立たなかった。
昭和29年 不二家

デラックス

今もかわらないロングセラー。『デラックス』という言葉に神通力があったのは1960年代までだろう。自家用車のトップグレードが『デラックス』だったのもこの時代までだ。明治チョコ・デラックスも今やスタンダードになってしまった。

1968年のCMでタイガースが「愛しのデラ」を歌っているはずだが、記憶が曖昧だ。はっきり憶えているのは1970年代末に谷村新司が歌った方。愛しの…(ためる 笑)…デラ〜♪
昭和32年  明治製菓

▼デラックス
1962 資生堂 ドルックスオーデュベール発売

キス

キスチョコといえば、ハーシーの一つ一つ銀紙に包んであるスライム@ドラゴンクエストの形のものが定番だが、 これはホイップクリームのように星形の口金で絞り出した形状。ハードパッケージに入っていた。

ミルクチョコにしては、ちょっぴりビターなのだが、ハーシーの「ざらざらした舌触りと辛さを感じる(変な表現だが) ストレートな甘さ」と比べると、不二家のイメージに似合う優しい味だった。
昭和35年 不二家

LOOKアラモードチョコレート

バナナペースト・苺ジャム・ナッツクリーム・パインゼリー入り。買ったのが暑い季節だったせいか、やたら甘く感じた。同じ時期に発売されたネクター(これも不二家)も甘かった。今はセパレートタイプだが、当時は板チョコだった。

そもそもアンコ入りのチョコは好きじゃないのに何故買ったかというと、NHK教育TVの『なにしてあそぼう』で、ノッポさんがこの箱を使ってロボットを作ってたからだ。例によって名前は隠してあったのだが、箱入りのチョコは珍しかったのでわかったのだ。
昭和37年  不二家

はonthewellさんの提供です。
【20年前のチョコレートのメニュー 】>>

パレードチョコレート

錠剤のように、シュガーコーティングしたチョコ。先に出た『マーブルチョコ』にそっくりでパッケージも似ていた。

蓋に絵が動くバッジが付いていた。これは、森永ディズニー・キャラメルに付いていたのと同じ方式。絵の表面にギザギザのタテの筋がはいった透明のビニールシートが貼ってあり、見る角度によって絵が入れ替わる。最近、携帯電話の店頭見本の画面に使われていて懐かしかった。

『マーブルチョコ』と『パレードチョコ』。僕は当時の多くの子供がそうであったように、『マーブルチョコ』派だった。味がどうという理由ではなく、アトムシールが欲しかったのだ。
昭和37年  森永

ハイクラウンチョコレート

タバコのハードパッケージを思わせるパッケージに入った高級志向のチョコ。一箱に4本、エンボス加工した銀紙(タバコのソフトパッケージに使われているもの)に包んであった。 ラベルに赤・青・黄・黒、があって、ミルク・セミスイート・ピーナツ・ビターだったと思う。

普段のおやつに買うには高くて、父親のパチンコの景品を貰うのが楽しみだった。ライバルに明治の『Alfa(アルファ)チョコ』というのがあったが、こちらはタバコのロングサイズを思わせる細長い紫のパッケージで、中身もスリムで艶のある赤紫の銀紙に包まれていた。ハイクラウンより短命だったが、小売り店の店頭で見かけなくなってからもパチンコの景品としては定番だった。  
昭和38年  森永

ガーナミルク

ロッテ初のチョコレート。カカオの風味と滑らかさは絶品。

真っ赤なパッケージが印象的だった。お菓子の世界では赤はミルクを表すことが多い。赤いパッケージ=ミルクの図式は『牛乳石鹸』の赤箱あたりがルーツではないかと思っているが、お菓子業界では、明治『クリームキャラメル』、不二家『ミルキー』、そして『ガーナ』がイメージを定着したのではないだろうか?

ちなみに、セミスイートのパッケージはクリームと金の千鳥格子だった。
昭和39年2月 ロッテ

▼牛乳石鹸
1928年(昭和3年)

▼クリームキャラメル
1934年(昭和9年)

▼ミルキー
1951年(昭和26年)

アルファチョコレート

明治製菓の高級チョコ。 解説はハイクラウン参照>>

CMソングは佐良直美のデビュー曲・『世界は二人のために』。この年のレコード大賞新人賞受賞曲だ。モデルは加賀まりこだった。
昭和40年  明治製菓

チューブチョコレート

練り歯磨きのチューブを思わせる容器に入ったチョコ。ラミネートチューブなんて無い時代だったから金属チューブで、口金に虫歯の詰め物が触れると嫌〜な味がした(キットカット参照)。でも、最後まで意地汚く絞りだして食べていた。

虫歯の元が歯磨き粉のチューブに入っているのは、シュールでブラックだった。今も売ってるロングセラー。
昭和40年 フルタ製菓


▼ラミネートチューブ
ホワイト& ホワイトライオン  昭和45年
♪白い歯っていいな  ホワイト& ホワイト

チョコベビー
昭和40年 明治製菓

ラミー

ラムレーズン入りのチョコ。現在は、ハードパッケージで2本に別れているが、発売当時は一枚の板チョコだった。ぴりっと辛いラムレーズンとミルクチョコのバランスが絶妙で、最も好きなチョコの一つ。

美味しさの秘密は、量産品のお菓子にしてはアルコール分が抑えてないことと、一般的なカリフォルニアレーズンではなく、サルタナレーズンを使ったことだろう。レーズンチョコと言えば、チョコよりレーズンの味が勝ってしまいがちだが、小振りで癖のない甘さがチョコの味をひきたてていた。

当時のロッテのTVCMでは、九重佑三子@コメットさんがスイスの民族衣装を着て、「ポッポプー」とホルンを吹いていた。ガーナがメインで、ラミーとバッカスはCMの最後に「**も宜しく」的に扱われていた記憶がある。


ラミー2004

現在ラミーは期間限定商品。今年のヌーボーは10月12日だった。数年ぶりに食べたら、味が変わっていた・・というよりも、レシピそのものが異なる。ラムレーズンがガナッシュにつつまれており、まろやかになった。発売当初からのファンには物足りない。チョコの甘さと、レーズンの辛さの対比が持ち味だったのに、味が曇ってしまった。
昭和40年12月 ロッテ

▼カリフォルニアレーズン
93%がトンプソン・シードレス。

▼サルタナレーズン
マスカット系。柔らかくあっさりしている。

▼ロッテ御三家
ガーナ、ラミー、バッカスで御三家のようなイメージがあるが、同時期にナッティ(1965)もあった。

メロディチョコレート

初めてのセパレートタイプのチョコ。ロッテのNo1チョコもセパレートと言えなくはないが、個装してないとう意味では日本初だろう。赤箱がミルク、青箱がセミスイートだった。

不二家としては、このクラスに初めての参入だった為か、CMに海外タレントを起用する等、力が入っていた。1972年頃に天地真理のTVCMが流れていたはずなのに記憶がない。おそらく、日曜夜7:30の不二家提供枠の『美しきチャレンジャー』、『コートに賭ける青春』を観てなかったせいだろう。
昭和41年  不二家

▼天地真理
1971年、TBS『時間ですよ』に初登場。同年10月『水色の恋』でレコードデビュー。

エールチョコレート

♪大きいことは いいことだ それ!
♪おいしいことは いいことだ それ!

山本直純が気球に乗って指揮をするコマーシャルが忘れられない。「大きく食べておいしくたべて50円とはいいことだ」。当時の遠足のおやつは50円までだったので、これを一つだけ持っていった事がある。確かに板チョコとしては厚みがあったが、大げさに歌う程のことでも無かったような?
昭和42年  森永製菓

▼山本直純>>

チョコバー

♪バーバーバーバー チョコ バー

「痛快まるかじり」のチョコバー。米国ではランチをチョコバーで済ます人種がいると聞くが、当時の日本には登場が早すぎたのか、短命に終わった。黒いパッケージの「ナッツヌガー」、白いパッケージの「パウンドケーキ」。後に赤い「トーストココナッツ」が加わった。

CMは俳優デビューして間もない石坂浩二。その風貌がウルトラQのナレーションと結びつかなかった。パウンドケーキなるモノを知ったのは、このときだった。
昭和42年 明治製菓

\40

チョコフレーク

♪ツィギータッチ ツィギータッチ チョコフレーク

コーンフレークにチョコがけしたスナック。コーンの香ばしさとパリッとした食感に、ミルクチョコレートが良くあっていた。昭和38年に国産化され、ポピュラーになったコーンフレークは、この頃、ケーキやパフエなどのデザートでもよく見かけるようになっていたが、そのあたりかから発想したのだろうか?

TVCMには、同年来日したモデルのツィギーが出演していた。ツィギーの人気は大変なもので、バービーのマテル社から着せ替え人形も発売されていた。
昭和42年 森永

\50

▼ケロッグのコーンフレークは昭和38年5月、日本に上陸、はじめは味の素の川崎工場で製造され、六大都市で一斉に発売 された。

アポロチョコレート

円錐形の小粒のチョコ。上半分がイチゴチョコで下半分がミルクチョコ。これが何故アポロという名前なのかは同世代ならわかりますね?

1969年7月21日午前5時17分39秒(日本時間)に、アポロ11号が史上初の有人月面着陸を果たしたのだ。その司令船をイメージして作ったからだそう。 ちなみに1969年7月21日は月曜日で、前日に『柔道一直線』と『青空にとび出せ!』を観てから、アポロの中継を見るために早めに寝たはずだ。

しかし、イチゴに宇宙船はミスマッチだと思う。もう少し時代が後なら、イチゴ畑とか、イチゴの村になってただろう。
昭和44年  明治製菓

現在は、イチゴとミックスベリーの二種類。
静岡限定 みかんアポロ
北海道限定  さわやかミント味、ハスカップ味、メロン風味
東北限定・大粒りんご風味

etc.

▼青空にとび出せ!
昭和44年4月〜44年9月 提供:不二家 ピンキーとキラーズ主演の青春コメディドラマ。
 

カプリコ

ウエファースのコーンに乗っかった、おそらく日本初のエアインチョコ。今のムースチョコほど肌理が細かくはなかったが、独特の食感と口溶けの良さが新鮮だった。

チョコバーでは根付かなかったチョコのスナック化は、何かをチョコでくるむのではなく、チョコを衣で包む方向へ進んだ。これは、チョコを和菓子の餡と同様に見立てたのでは無いかと思うのだ。饅頭とか最中とか・・
昭和45年  グリコ

アーモンドチョコレートXO

グリコ初の高級路線。純チョコで勝負せずにアーモンドチョコを持ち込んだところに心意気を感じた。森永ハイクラウンの様なスティック状で、一箱に4本、一本にアーモンドが二個だったと思う。

二年前に登場したフライドタイプのアーモンドチョコは、眼からウロコのおいしさだった。この時代はキャンディーコートされてなかったと思うが、アーモンドに関しては他社の追随をゆるさぬ自信に溢れていた。

それを物語るのがネーミングの『XO』。コニャックの最高グレード(熟成6年以上)だ。当時の洋酒は高値の花で、ジョニ黒が1万円だった。CMのモデルが近藤正臣だったことからも対象年齢が高かったことがうかがえる。
昭和46年  江崎グリコ

▼近藤正臣
二年前の『柔道一直線』では高校生だった。(笑)

小枝チョコレート

砕いたアーモンドが入った、細身のスティックタイプのチョコ。それまでのアーモンドチョコは、音をたてて齧る食感をウリにしていた。対する『小枝』は、オチョボ口で音をたてずに食べられる事を武器に、女性を狙ったのだと思う。アーモンドがフレークなので、丸ごと入っているタイプよりもチョコと馴染んで(薄皮のエグ味も無く)美味しかった。

チョコレートは可塑性を活かして様々な形のものが作られる。顕著な例はコインだろう。他の菓子ではこれほど精密に成形するのは困難だ。が、小枝はあえて枝という不定形な自然の造形を模している。これは他に類を見ない(後の、『たけのこの里』や『きのこの山』はデフォルメされ、しかも形状は均一)。 いわば日本の陶芸の世界だ。

TVCMは小森和子が「高原の小枝は大切に」というやつだった。当時、小学生だった僕が、映画評論家の小森和子を知っていたのは、TVドラマ『謎の円盤UFO』の解説をやってたからだ。
昭和46年 森永

▼謎の円盤UFO
昭和45年10月3日〜昭和46年3月27日
提供はSONYとブリジストン

ハートチョコレート

ピーナツ入りのハート型の板チョコ。“バレンタインデーにチョコ”がポピュラーになった時代だった。

ナッツチョコの場合、チョコとナッツの分量のバランスが美味しさの決め手だが、ハートチョコレートは絶妙だった。 発売当初(リニューアル)のCMは記憶にないが、74年の山下達郎の『恋はハートで』は印象に残っている。

現在、一口サイズの箱入りだが、毎年1月〜2月には個包装のレギュラーサイズが売り出されるそう。
昭和46年 不二家

ルーツは昭和10年にさかのぼる。

チェリーチョコレート

リキュールに漬けたサクランボが丸ごと一個入ったチョコ。台形の頭がカマボコ状に丸くなった(跳び箱の様な)形の一口タイプのものが、メタリックピンクの包装紙に包まれて、細長い箱に一列に並んでいた。

洋酒入りのチョコとしては、ロッテのラミーと並んで好きなチョコだったが、いつの間にか姿を消した。
昭和47年 明治製菓
80円

キットカット

ウエハースをミルクチョコレートでくるんだ、『マッキントッシュ・キットカット』。

その組み合わせが新鮮だった。が、チョコが柔らかいのか、厚みが薄い為か、夏場は銀紙を剥くのが難しく、紙に残ったチョコを意地汚く舐めて、口の中で虫歯に詰めた金属と触れ合って嫌〜な事になったのだ。(異種金属間で電気が発生する)
昭和48年 不二家

ロントリーマッキントッシュ社がつくっていたキットカット。1972年に不二家がロントリーマッキントッシュ社とライセンス契約を結び1973年から国内生産・販売を開始した。
1988年にロントリーマッキントッシュ社がネスレグループに加わり、1989年にネスレマッキントッシュ社がネスレ日本と不二家の合弁会社として設立された。

ホワイトチョコ

日本初のホワイトチョコ。カニ族と呼ばれる若い旅行者が、人気に火をつけた。
昭和48年 六花亭製菓

ウィーン

カネボウの高級チョコ。カネボウのチョコはメルヘンチックなネーミング(ロマンの肖像等)と凝った形の物が多い。『ウィーン』は角の丸い屋根型(寝かせた三角柱)のチョコを一つずつ、ウイーンの町並みの風景画をプリントした金紙で包んであった。

チョコの舌触りは材料の配分だけでなく、形状に左右される。最近はかつて板チョコだった物が、粒チョコ?に変わるケースが多いが、基本の味は同じでも印象が異なるのだ。

『ウィーン』は意図したのかどうか不明だが、角の丸さのお陰で唇に触れる感触が優しく、舌触りが良かった。
昭和48年 カネボウ食品

セシル

おそらくグリコ初の素(具無し)チョコ。コピーは「セシルはムクのチョコレート」。 白と赤がグリコのチョコのシンボルカラーだったが、セシルでは割合が逆転して、ほとんど真っ赤。日本のチョコ界では、赤は“ミルクチョコ”の記号だ。セシルもまろやかなミルクチョコだった。

CMでは山口百恵と三浦友和が共演。発売直後に百恵&友和初共演の『伊豆の踊り子』が封切られた。この年、山口百恵主演のTVドラマ『赤いシリーズ』が始まった。
昭和49年11月  江崎グリコ

▼赤い迷路
74/10〜75/3
宇津井健、山口百恵、中野良子、松田優作、長山藍子

クランキー

モルトパフが入った板チョコ。ライスパフ入りチョコは以前からあったが、駄菓子の域を出ず、香ばしいモルトパフを使った板チョコは日本ではこれが最初だったと思う。

60年代に嗜好品から手軽なおやつに変化してきたチョコレート。70年代に入ると高級とカジュアルに二分化し、「痛快丸かじり」の『明治チョコバー』以降、スナック化したチョコが次々と誕生した。 板チョコ初のスナック化を果たしたのが『クランキー』。

TVCMで俳優デビューして間もない草刈正夫が大胆に囓って見せた時、大事に折って食べるものだった板チョコの戦後が終わったのではなかろうか?
昭和49年9月  ロッテ

デュエット

『アルファ』の後を継ぐ、明治の高級チョコ。箱は二つ折りで(今のケータイのような)、それぞれにスティックタイプのミルクチョコが入っていた。味は強い主張のないマイルドなものだった。

箱のデザインは黒をベースに赤系統のファンシーな花柄をあしらったものだった(ちなみに、同時期の森永『ハイクラウン』にはオマケにフェアリーカードついていた)。同じ明治のキャンディー、『チェルシー』の箱も似たイメージだったが、チェルシーの花柄が60年代末から70年初頭のサイケの雰囲気を残してしたのに対して、デュエットはミュシャを思わせるアールヌーボー調で、当時のビクトリア・ファンシーの文具のようなイメージだった。
昭和50年  明治製菓

▼ビクトリア・ファンシー/学研

ポポロン・チョコクリーム

一口サイズのシューの内側にチョコクリームをコーティングしたスナック。
これは驚きの美味しさだった。チョコに特徴があるわけではない。シューもまたしかり。 何が美味しいかというとそのハーモニー。

ウエファース系の材料とチョコの組み合わせは以前からあったが、『ポポロン』のオリジナリティは中の空気を味わう事にある。この軽やかさは比類がない。また、中身が詰まってないだけに、食べたあとに物足りなさが残る。満たされないココロに、想いがつのるばかりだ。名品だと思う。
昭和51年  明治製菓

白い恋人

スキー場のおみやげの定番。1986年に、スイス・モンドセレクションでゴールドメダルを受賞。 北海道生まれだが、何処にでも置いてあるような?
昭和51年  石屋製菓


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