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昭和30年代生まれに贈るオンラインマガジン
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Update: april.2004
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小さなスナック
僕が初めて君を見たのは〜♪ 食べ物に関する雑記です。
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▼小さなスナック
作詞/牧ミエコ・作曲/今井久・唄/パープル・シャドウズ |
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10円あったらチロルチョコ〜♪ 『チロルチョコ』の生まれ故郷は福岡県田川市だ。全国区になった今でも本社は田川にある。東京銘菓と信じている人の多い『ひよこ』も筑豊生まれで同郷だ。私は子供時代を福岡で過ごしたので、『チロルチョコ』には発売当初から馴染みがある。 筑豊には銘菓が多い。かつて炭坑で栄えた時代に全国から人が集まり、菓子屋が栄えた。炭鉱夫たちが過酷な労働で消耗したエネルギーを甘いもので回復し、活況による人の往来が手土産を必要としたからだという。 1903年創業の松尾製菓は従来の菓子が売れなくなったことから、社運をかけて「10円で売れるチョコレート」を開発。1962年、ヌガー入りのチョコレート『チロルチョコ』が誕生した。 「高級だったチョコレートを子供にも」という願いから生まれたそうだが、それでも当時の10円はかなりの価値があった。肉屋の店先で売られるコロッケが5円、今川焼きが10円、封書が10円の時代だった。不二家のLOOKアラモードチョコは50円だったから、チョコがいかに高かったことか(*当時のリポビタンDの150円は法外に高い)。 人は数字のマジックに弱い。「*キュッパ」にも弱いが「ポッキリ」にも抗えない。不況で潰れた店舗跡に雨後の筍のごとく100円ショップが出現したのも、単に安いからというだけではない。キリの良さも大切なのだ。「ワンコイン」には魔力がある。 昭和37年から47年までの『チロルチョコ』三ツ山10円時代は私の子供時代とぴったり重なる。『フランダースの犬』の表現を借りれば「少年時代ふたりはいっしょにすごし、大人になった後もはなれなかった。なぜなら少年の記憶があまりにしっかりと10円玉を抱いているので」ということだ。チロルチョコの魅力は“10円ポッキリ”にある。 もう一つの魅力はチョコのクオリティの高さだ。当時の駄菓子屋のチョコは「虫下しのチョコが美味しく思える程」酷いものだった。そんな中、『チロルチョコ』はヌガーというパートナーを得、チョコの分量を減らすことでクオリティを保っていた。 さて、ここからが松尾製菓さえ気がついていない『チロルチョコ』の(かつての)人気の秘密だ。増量の為に選んだヌガー。これが思わぬ効果をもたらした。『チロルチョコ』はあのサイズにしては食べ応えがあるのだ。 当時の10円が貴重だったことは先に書いたが、同じ価格のライスチョコのあっけなさとは比べるべくも無かった。ヌガーは歯ごたえがある。噛む事によって空腹が満たされたのだ。食べ盛りの子供には得難いものだった。 そんな『チロルチョコ』も 、現在10円で買えるのはかつての一山分だ。(価格を維持している松尾製菓の努力は賞賛に値する)中身のバリエーションも増えてオリジナルのヌガーの影は薄い。飽食の時代。もはや10円で空腹を満たす子供は居ないのだろう。 かつて、私と同世代の山口百恵は「時代と寝た女」と呼ばれた。少年期にチロルチョコと添い寝した人間が後世に伝えたい事がある。 食には作法と言うものがある。『チロルチョコ』は三つ山を買うべし。これをエレガントに食べるにはコツがある。いきなり齧らずに折るのだ。気合いを入れて上手く折れた時、もう一つの「ポッキリ」の醍醐味を味わう事になる。 |
▼チロルチョコ
![]() 公式サイト>> ▼田川 西川峰子の出身地。 ▼10円 10円を維持する戦いに思わぬ伏兵が現れた。 コンビニのPOSだ。 一山10円の商品にバーコードが印刷出来ず(サイズの問題)、20円バージョンが作られた。 |
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