パブリカとCの法則/1961年
自動車に興味がない人でも、ドイツのフォルクスワーゲンの名は聞いたことがあるだろう。私と同世代なら、輸入車が珍しかった子供時代に一番多く見かけた外車として記憶に残っているはずだ。
フォルクスワーゲン(タイプ1/通称ビートル)はヒットラーの国民車構想から生まれたもので、言葉の意味はストレートに国民車だ。
日本でも1955年の旧通産省『国民車育成要綱案(国民車構想)』を受けてメーカー各社が開発した小型車が乗用車の普及に大きく貢献した。トヨタが発売したのはパブリカ。名称は一般公募だった。
パブリックカーに由来する名前はフォルクスワーゲンと同じ発想だ。ナショナルカーにならなかったのは、松下電器の存在があったからかも知れない。
196〜70年代のトヨタの商品名は、乗用車に限り原則的にCで始まるという不文律があった。センチュリー、クラウン、コロナ、カリーナ、セリカ、カムリ、カローラ、コルサ。スプリンターは当初カローラ・スプリンター、ターセルはコルサの双子車、マークIIは本来コロナ・マークIIで、兄弟車のチェイサー、クレスタもCで始まる。
唯一の鬼っ子がパブリカだったが、ダイハツ工業との業務提携で兄弟車がコンソルテとなり、かろうじてCの法則は保たれた。73年に派生車パブリカ・スターレットの登場後半年でパブリカの名は消え、77年にダイハツ独自開発の小型車シャレードの登場でコンソルテはなくなった。
トヨタがパブリカの名に執着しなかったのは、名前と裏腹に商売としては成功とはいえず、時代は大衆車として上のクラスのカローラを歓迎したことが大きいのだろう。パブリカの意味が予想以上の速度で時代遅れになり、同じくCで始まり、意味の近いホンダ・シビック、シティに比べて垢抜けないイメージがあった。
スプリンター、スターレットに続いて、Sならいいやと思ったのか、80年代にソアラ、スープラと、なし崩し的に例外が増えて、Cの法則は昭和の終わりに歩調を合わせるように消えていった。